ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

公共哲学

2011年08月24日 | BOOKS

サンデルの「公共哲学」を読了。
NHKで放送されたハーバードの講義で有名な教授。
前作「これからの正義のはなしをしよう」以来、私のアンテナの中では気になる人物。
公共哲学とは、私たちの社会をどのような理念とルールによって組み立てていけばよいのかを
様々な観点からじっくり掘り下げていく学問のことだ。
この本はサンデル教授が、これら問題に関心のある一般読者を対象にまとめあげたエッセイ集。
彼独自のクリアな思考により、現代の米国を中心とした政治哲学の諸問題が整理され、
ひとつの方向性が提示されている。

サンデル教授によれば米国の公共哲学は、リベラル派と共和主義という2つの立場の間を揺れ動きながら形成されてきた。
リベラル派は、主に独立した個人の自由に重きを置く集団。
自分の人生の目標はそれぞれの個人が自由に設定すればいいのであり、他人が外からとやかく言うべきものではないとする。
そのような個人主義を保証するためにも、国家が権利や自由について公正な枠組みをしっかりと作り上げるべきであると主張。
これに対して共和主義は、人間というものは歴史や地域のコミュニティ・共同体から切り離された「負荷なき自己」ではないと主張する。
人間は、家族の中での自分とか、コミュニティの共同生活への参加者としての自分をイメージすることなしには自己は存在し得ないのであり、
そういう意味で、国民が共有すべき市民道徳を流布させることこそが大事であるとする。
これに対しリベラル派は、そんなことをしたら特定の伝統に頼る全体主義に陥ってしまうと批判するが、
サンデルは共和主義の肩を持って、全体主義はむしろ、個人がバラバラになって社会の中での居場所を失い、
公共生活が衰退するときに生じるのであって、逆にリベラル派の方が危険なのだと挑発する。
前作「これからの~」のサブテキストのような感じで読み進めることができて、内容が面白い本なので半日で読み終えてしまった。
昨今やたら流行しているブッダやニーチェやサルトルの焼き直しも読み物としては面白いが、
今を生きる哲学という意味では内田樹や池田晶子さんの著作と共にオススメしたい。
書店ではこれらの本を手に取るのは主に20代、30代の若い子が多いように思えた。
それは私として目下のどうしようもなく危機的な政治状況下においては少なからず小さな未来の希望のように思えたが、
逆にこれらの本を手にすることはないであろう多くの中年達には失望しか感じない。
もはやシステム変更不可能と諦めてしまった40代より上の層はもうこのような本は読まないのかもしれない。

写真は近所の園芸店で次に何を育てようか悩む子供。

ピンチョン

2011年05月06日 | BOOKS


昨年より新潮社から刊行されているピンチョン全集を揃えている。
ずっと避けてきたピンチョンだけど、とうとうピンチョンに捕まった。
そんなわけでこのゴールデンウイークは期せずしてピンチョンウイークになってしまっている。
V、メイスン&ディクスン、スローラーナー、逆行、そのどれもが傑作であり天才の仕事。
多分、ここ数年はピンチョン研究で費やされそうだ。
1冊読むのに数ヶ月はかかるしね、本当に凄い作品群である。
あの柴田元幸氏だって訳すのに10年かかるなんて一体どういうことであろうか、本当に難解。
原文では読んでいないが原文の一部は18世紀の擬古文らしい、訳すのたいへんそうだ。
「競売ナンバー49の叫び」はまだ刊行されていないが早く発売されないかなぁ、6月の発売らしいけど。
今、一番発売が待たれる本かな、ちくまの訳から変更はあるのだろうか。
読書家でピンチョンを知らないのはとても悲しいこと、是非とも皆さん挑戦しましょう。
それにしてもピンチョンは難解、奇妙、複雑だが私はすでにピンチョンの毒に犯されている感じがする。
今年どころか数年はピンチョンに振り回されそうな予感。


不評

2009年05月06日 | BOOKS

数年前は「この人いいなぁー」と思って、著書も数冊読んだりした
茂木健一郎さんだけど最近は本出し過ぎだよ、化けの皮はがれた感じ。
養老先生も似た印象受ける。鎌倉の家、趣味の昆虫採集、お金かかるよね。
勝間和代みたいに「金稼ぎます!」をスローガンにしてる人は
どんなに本をリリースしてもご苦労さんな印象だけど
学者を看板にしてる人の金稼ぎはなんかいい感じしないな。
あまりに文章が美しすぎて本当に学者なのか疑いたくなるほど素敵な
福岡伸一さんにはこの道は辿ってほしくないな。

吉祥寺は今日も人が多かった。
ゆっくり道も歩けないよ、傘がさらに歩行の邪魔をする。
サトウ肉屋のメンチカツそんなにみんな食べたいのか?
東急裏のナイスな店方面に逃げ込もうとするも人、人、人。
結局、パルコの本屋で暇をつぶす。

毎日バッハとアイズレー・ブラザースばかり聞いている。
両者とも後世になって再評価された共通項がある。
バッハはとにかく最高だ。
アイズレーには艶がある、やはり最高だ。
今日も聞きまくる。

渋谷の本屋

2009年03月17日 | BOOKS

ワスのよく行く街は新宿、渋谷、吉祥寺の3ヶ所と決まっている。
ワスの場合、ほとんどのモノ・コトがこれらの街ですっかり用が足りる。
そんなワスは街に出ると、時間がさえあれば大抵は本屋をブラブラと
長時間うろつくんですが、渋谷だけがいい本屋がないんだなぁ。
昔のビルみたいにデカかった頃の渋谷のブックファーストは良かったけど
今の地下にもぐったブックファーストはダメだなぁ、なんか物足りないんだよな。
東急プラザ内の紀伊国屋書店もオーソドックスで面白みに欠けるんだよな。
そして渋谷パルコ内のリブロはもう全然ダメダメ、カッコだけで中身ナシ。
セレクション能力ナシ、ほんの並べ方から在庫の置き方からすべてダメ!
まだ吉祥寺のパルコの地下の方が救いがある、それほどダメ。
今や渋谷のパルコ自体がお店もコロコロ変わって安定感がなくって
昔のマルイみたいにどうしようもなくダサダサだ。
ようやくパルコの時代も終わりなのねぇ、長かったなぁ、よく頑張ったよ。
少なくともパルコはなんかワスにとっては青春なんだなぁ。
パルコって響きだけで80年代の香りがするんだな。

さてさて渋谷の本屋巡りなんすけど、そんなパルコの本屋に比べたら、
それならまだ井の頭線の地下にある啓文堂のほうがちゃんとしてるな。
オーソドックスな本屋のタイプだけどワスは好きだな。
いずれにしても渋谷にはいい本屋ナシ!という結論である。

その点、新宿は紀伊国屋が本店とデカイのが2軒もあるし、
ブックファーストもこの間デッカイのがオープンしたし
(その新しいブックファーストが店内が広くて見にくくて最悪!
暇つぶしにはいいかもしれないけど長時間いるとイラついてくるよ)
私が個人的に好きなジュンク堂も中心街にドーンとあって
本屋巡りには不自由しないんだけど渋谷の本屋はなぜかダメだな。
今後、渋谷のタワレコがつぶれたらハンズと楽器屋くらいしか行くとこないす。
あー、恵と鳥竹があったか。

漫画

2008年08月14日 | BOOKS



連日のあまりの暑さにブログなど書く気になれない。
適当にダラダラでもいいから何かを書こうかと思うがその気になれない。
昨日も吉祥寺の飲み屋で友人たちから、なんでもいいから書いてくれというので
今後はなるべく更新するようにします。でも、毎日は無理だけどね。

友人から借りている島田虎之助の漫画がめっぽう面白い。
「ラスト・ワルツ」「東京命日」「トロイメライ」の3冊であーる。
それぞれが無関係に見えるストーリーたちが最終章に向かって結実していく様は
圧巻であった。漫画というよりむしろ映画な感じがした。
私には、そーか、こういう手法もあったのか!という斬新な感覚が
随所に感じられた。絵の完成度も高い、というか確立されている。
私とほとんど同世代の人なので、遅れてきた新人なのかもしれないが
完成された新人でもある。久しぶりに漫画の面白さを味わった。
そーだ、久しぶりに漫画でも読んでみよう。

流星の絆

2008年07月24日 | BOOKS

東野圭吾の「流星の絆」を読了。
500ページ弱を4時間くらいで一気に読んだ。
さすがに上手い。
流麗な文章、飽きさせない展開、巧みなプロット、ホロリ感、
どう考えても現在最高の書き手の一人だ。
あまりズラズラ書き連ねるとネタバレしてしまいそうだから
今回はひたすらホメる。
それでも、そりゃあナイだろっ!ってところもあるけど
まあまあ全体を考えてみれば90点の出来だ。
東野作品はテレビ化、映画化されやすいが
今回の作品もテレビ化されるのは時間の問題だろう。
作品自体がシッカリしてるから監督も演出ラクだろうなぁ。
それにしても面白かった。
でも、正直にいうと結論には異議ありまくりだけど・・・。
今日も強烈な暑さだったからこの本には救われました。
でも、超ハイペースで高密度な作品をリリースし続けている作者には感服。
明日からはまたアメリカの政治本、経済本に戻る予定。

ホッファー

2008年06月02日 | BOOKS

なにやら最近、巷では「蟹工船」が売れまくっているらしい。
プロレタリア文学自体が死語と思っていただけに意外な気がする。
ところが、現在のこの日本のワーキングプアな状況がみょうに
当時描かれた状況とオーバーラップするようで受けているらしい。
でも、実際のところ作者の小林多喜二が北海道拓殖銀行の
エリート行員だったというのはちょっとしらけちゃったけどね。

そんなこんなで最近は雨ばかりなのでマラソンできないので
朝のマラソンの時間は読書にあてている。
先日は尊敬するエリック・ホッファーの自伝を読了。
やっぱ、この人凄いわ。
こんなカッコイイ哲人もう現れないだろうな。
多くの人は多分「波止場日記」を通じて知ってるんだろうけど、
ざっと略歴を紹介すると、

1902年ニューヨークで貧しいドイツ系移民の子として生まれる。
5歳のとき、母親に抱かれたまま、階段から転落。
母親は2年後に死亡、彼は視力をまったく失う。
15歳のとき突然視力が回復するものの、その3年後に父親が死去。
誰一人身内がいなくなったホッファーは放浪の旅に出る。
その後、10年間ロスアンゼルスで放浪しながら図書館に通い続けて独学。
しかし、28歳のときに、とある感覚に襲われて自殺を図る。
幸か不幸か自殺は未遂に終わり「曲りくねった終わりのない道としての人生」
を送ることを決意。
その後、10年間、浮浪者としてカリフォルニアを「徘徊する」ことになる。
1941年からサンフランシスコで沖仲仕として65歳になるまで25年間働く。
その間、知り合いなどに助けられ、数冊の本を出版。
なかでも独創的な研究書「確信者」がバートランド・ラッセルや
アイゼンハワー大統領などから絶賛されホッファーブームになる。
1983年に80歳で生涯を閉じるまでいくつかの名著を残す。

とまぁ、ざっとこんな感じの人なんですけど私はファンなんです。
なんというか「放浪者」なんだよね。
ジャック・ケルアックとかスタインベックとか好きな人なら
理解してもらえるんじゃないでしょうか。
思考の内容だって、今、読み返してみてもまったく古びてないし
怖ろしいくらいに人間の核心を突いているものばかり。
別に理解などしてもらわなくてもいいのですが、とにかくカッコイイんですよ。
こんな世界的な社会哲学者をアイドルっぽく論じていいものか
とも思うのですがカッコイイものはしょうがないじゃないですか。
先日のポール・ポッツ君がとてもカッコ良かったので
エリック・ホッファー先生のことを思い出してしまいました。
興味ない人にはまったく無用な話でした。

時代小説

2008年05月02日 | BOOKS

めっぽう面白い時代小説を読了。
タイトルはあえて伏せます。多分、近いうちに映画化かドラマ化されるでしょう。
これは、ゼッタイに映像化された作品をみてみたい。
余程のバカな監督でもない限り確実にヒットするでしょうね。
時代や設定を変更して外国に舞台を移してもイケそうです。
それほどストーリーが素晴らしい。
面白い作品を読むと元気百倍になるので読書はやめられません。

時代は戦国時代、秀吉が天下を取る一歩手前の時期、秀吉の部下である石田三成が
ある城を攻め落とす話なのだが、とても一筋縄ではいかないのです。
それにしても、こーんなに面白い小説だとは思わなかった。
私の場合、ここ数年で時代小説といえば宮部みゆきの「初ものがたり」と
「本所深川ふしぎ草紙」くらいしか読んでおりません。
しかも宮部みゆきさんの本は内容がとても現代的なので、
江戸時代の舞台を借りた現代劇のようでした。
ところが、今回の本はバリバリの戦国時代モノです。
時代背景も言葉遣いも当時の人の考え方も現代とはまるで違います。
当初はそんな思考の違いや台詞回しの違いにとまどいましたが
数十ページも読めばすぐになれました。

いやー、戦国時代とは本当に人殺しの時代、殺戮の時代だったんですね。
こんな平和ボケの日本にいるとあまりの違いに圧倒されますよ。
毎日、毎日が殺し合い、奪い合いです。法律もルールもありません。
どれだけ個人が知能のある野獣となるかで生存率の高低が決まります。
こんな時代に生まれていたら、心の底から平和な世界を望むことでしょう。
愛する家族や友人と心穏やかに安らかな生活を送るだけのことが
こんなにも尊いものだとは気がつきませんでしたよ。
歴史は繰り返すといいますが、性根がとことん腐れきっている日本のような国は
どこかであの悲惨な戦争体験をもう一度でもしないといかんのでは?と思いましたよ。
奪うものと奪われるもの、領主と百姓の違いも圧倒的です。
でも、この当時の百姓は江戸時代の百姓と違い、領主と共に戦士としても戦うのです。
専業としての百姓が登場するのはもう少し後の時代のようです。
私が知らないだけで時代小説ってテレビの時代劇と同じように人気があるんですね。
本日も紀伊国屋で時代小説のコーナーをうろついてましたがスゴイ量ありましたから。
以前、中村吉衛門の鬼平犯科帳が好きだったので、江戸時代のことはなーんとなくわかりますが
室町時代や戦国時代の人々の考え方や生活はあまり想像できませんでした。
今回の小説でなんとなくですが戦国時代の人々の思考が理解できたのも良かったです。
GW対策に購入した本ですが、あっさりと読んでしまいました。

流星ワゴン

2008年04月21日 | BOOKS

本来なら東野圭吾の「流星の絆」のほうを先に読まなくちゃいかんのに
なぜか重松清の「流星ワゴン」を読んでしまった。
初めて読む重松作品だが、思いのほか面白かった。
中ダルミはあったけど、さすがベストセラー作家だけのことはあり
読者を面白世界に引きずりこむテクニックには長けている。
旅行中に飛行機の機内で読もうと思って空港で買った文庫本だけど
読む機会を逸してしまったのでここ数日で読了。
いろいろ文句をつけたいところはあるけど、まぁ面白く読めたので良しとしよう。
丁度、八王子近辺に住んでいて、似たような離婚暦のある友人が
読みたいといっていたので進呈しようと思う。

このところ急に初夏のような陽気で気分がとてもいい。
しかし、その気分の良さから何を食べても美味しく感じて体重がみるみる増えていく。
帰国直後には66キロだったのに今では69キロ!
少しでも痩せたいので、毎日のランニングで距離を増やしているのだけれど
昼食と夜の晩酌時にバカ食いしてしまうので意味ナシである。
これでGWに突っ込もうものなら、確実に70キロを超えそうである。
すぐにでもダイエットしなければいけないが、食欲がセーブできない。
困ったもんである。

文章

2008年03月09日 | BOOKS

近頃、中野京子さんの「怖い絵」という本を読んでから
以前からあった欧米絵画の見方が一変した。
私はドガを見てもムンクを見てもクノップフを見ても
本当の本質は見ていなかったのである。
もちろん私はドガと同時代に生きてはいないので
その当時の風俗や常識のことはわからずただ絵画だけを見て
あーでもない、こーでもないと言っていたのだが、
どれほど、当時の時代背景や常識が大切なのかということが
このたびあらためて認識させられた。
というより、昔の絵画を見るには当時の時代背景、生活様式、ムードを
知らずして見るということは非常識なことだと考えるにいたった。

それにしても、この中野京子という人の文章、巧みだなぁ。
すごく上手だ。
言いたいことを説明するのに簡潔明瞭ながらも、その表現が素敵だし
こういう文章書く人は本当に才能あるなぁと思ってしまう。
昔は自分の思考の浅さや表現力のなさを隠すためにわざと難しい漢字を使ったり
わざと旧仮名遣いにして書いたりしていたけど、今考えると赤っ恥ものだった。
余計に自分のバカをさらけだしているだけだったのである。
ブログがこんなに流行るようになって、たくさんの人の文章に接するたびに
世の中には上手いこと書く人がいるもんだなぁと感心ばかりしている。
名も知れない人ばかりだが、彼らの書く文章の中にもたくさんの巧みがある。
結論は、自由に平易に自分の言いたいことをシンプルに書けばいいのだと
考えるのだが、こんな簡単なことが案外難しい。
ヘンに多くの知識が邪魔するのもおかしいことだけど。
子供の頃から、知識、思考力、応用力と拡げていかなきゃだめなのかなぁ。
後、たくさんの本や多くの文章に出会うのも大切な修行ですね。
とにもかくにも文章書くのって難しいもんです。