北の国の人生ノート

これからの人生を有意義に生きていくための道程。自分で自分のために書く日記です

久しぶりにラーメンを食べました。みのもんたの「愛の貧乏大作戦」で

2006-08-29 | 食べること
どこにもない『オンリーワン』ラーメン!! というのがキャッチフレーズの店。できたころから知っていました。(食べに行ったのは、テレビで見てからでした。)
 脂肪油(ラード)をほとんど使わないのにまろやかなスープは、癖になりそう。
ふと、『えびそばの記憶』がよみがえった時、食べたくなりました。 
みのもんたの「愛の貧乏脱出大作戦」で伝授した味でした。確か中国の帰国したかたが「野本さん」にならっていた記憶があります。今は、24軒のJRの高架下で営業中、池袋の東武百貨店の地下でも営業を始めたようです。チョット違った味ですが「本物」です。(ちなみに私は、豚骨の出汁でとったスープは、札幌ラーメンとは、認めていません)


「CLUE」に掲載した内容より抜粋  野本さんの自伝 その1(HPより)

去年、日本テレビで放映された「全国民が選ぶ、おいしいラーメン屋さんベスト99」で、北海道から唯一ランクインしたのが、札幌西区の「ラーメン縁や」。店主の野本栄ニさんは、6年前まで腕利きの鉄筋工として働いていた、ユニークな経歴を持つ。
「中学を卒業してから建設業一筋で15年。26歳の時には、小さいけれど自分の会社も興し、経営も順調でした」
港湾の仕事を得意とし、留萌港(北海道)、日立中港(茨城県)、東本牧の埋立工事(神奈川県)など全国の現場を渡り歩き、92年には腕をかわれ技術指導員としてインド洋のスリランカに半年間赴任していたこともある。
そんな彼が、長年のキャリアを積んだ仕事を捨ててまで、畑違いの飲食業に身を投じたのはなぜだろう。
「中間業者の多い建設業界のシステムに矛盾を感じてました。国が仕事を発注して、商社が受注し、大手のゼネコンに出し、それを一次下請けにまわして。孫請けの僕らのところまでくると、取り分はほんのわずか。それがどうしても腑に落ちなかった」
そんな野本さんの疑問に拍車をかけたのが、北海道経済の先の見えない落ち込みぶりだった。
当時、1998(平成10)年末は、拓銀や中堅ゼネコンがバタバタと倒産し、北海道開発庁(現・国土交通省)も取りざたされるようになった頃。建設業界もそのあおりをまっさきに受けていた。
「そもそも北海道は半年間、雪で仕事がない。どうしても失業保険に頼らなざるを得ない時期がある。なのに、こんなに経済が冷え込んで、この先、希望が持てない。かといって、中卒だし、歳も30だし、ほかになにができるわけでもないし、と後ろ向きに考えてました」




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