NMM1973年の7月号に「マガジンが見つけた19の実力派グループ」
の特集から今回は「都落ち」を。
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牟田憲司 ギター(グレッチ=ロック・ジェット)ボーカル
堀内寛昭 ギター(リッケンバッカー)、ボーカル
津田一矢 ベース(カール・ヘフナー)、ボーカル
山本博士 ドラム(パール=プレジデント他)
以前京都に69(シックス・ナイン)というビートルズ・ナンバー専門のバンドがあったが、このバンドは71年の末に解散してしまった。しかし堀内君のもとに九州にいた津田君からバンドを作ろうという熱心な便りがあったのをきっかけに、72年の初めにグループを結成。その年の夏には牟田君が桑田って現在の編成になった。その後京都を中心に活躍してきたが、東京でも吉祥寺のOZや、大学祭などで演奏することがある。今年の4月21日には京都でリサイタルを開き、好評だった。
レパートリーは初期のビートルズ・ナンバー中心だが、最近はオリジナルも多い。ビートルズのたどった軌跡をたどりたいとうのが、グループの願望だそうである。いわゆるロックンロールのバンドとは、多少のニュアンスのちがった存在のようだ。
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「村八分」と同じくらい強烈なインパクトをもったバンド名「都落ち」。
最初に知ったのはラリーズ聞きたさに入手した「OZ DAYS LIVE」。
かつて吉祥寺にあったロック喫茶「OZ」が閉店に際して作られた
「OZ」店内でのライブ盤で、二枚組みのレコードが茶色い袋に入った仕様。
オリジナルは激レアで、かつて中身はオリジナルで外袋はパイレート盤というものがディスクユニオンで売られていました。どうやら注文が入ってから外袋を用意していたようで、中身が残っていたそうです。
今は海外製のブートが、プラケ盤/紙ジャケ盤で広く出回っているので
持っているかたも多いのではないでしょうか。私もそんな中の一人です。
二枚組みの収録内容はこちら。
A面:アシッドセブン/都落ち
B面:南正人
C面:タージ・マハル旅行団
D面:裸のラリーズ
都落ちはA面で聞くことが出来ます。
最初聞いたときにはこの時代にこんなガレージバンドいたの?という感じでした。
その他の情報が全くなく後にこのニューミュージックマガジンを手に入れて再度びっくり。
1970年代といえば海外の英米のロックに追いつこう、一方で日本語を用いた日本ならではのロックを、としのぎを削っていた時代にまさかビートルズの格好をして活動していたグループがいたとは!名前から泥臭いブルースロックを想像していたのでかなりのギャップです。
なんとこのグループの当時の映像も今はYOUTUBEで見る事ができます。
98年には再結成もしているようでこれも二曲YOUTUBEで見る事ができます。
やはりこの中で当時の映像は非常に貴重かと。
この中で当時のライブのチラシが映し出されますが卒倒もののラインナップですね。
再結成の映像をみると上手くエッセンスを取り入れてオリジナルにしたててます。
1973年といえば「バッド・ボーイズ」も「MEET THE BAD BOYS」でLPを出しているんですよね。
ということはこの時代に後期のニューロックぽいビートルズとは異なる、
初期ビートルズのコピーというのはありだったんでしょうかね。
そもそもキャロルも同時代ですし。
よくよく考えると当時のロックは長尺な印象ですが、だいたい大物の海外のロックバンドもアンコールでロックン・ロールをやっていたり、日本のバンドのクロージングもみんなでチャック・ベリーみたいなのも多かったと聞きます。
でも実際のところ、長髪族の多かったであろう当時のコンサートで、ビートルズの衣装を着た彼らはどういった評価を受けていたんでしょうか?非常に気になります。
色んなバンドを追っていくとその時代の多面性が見えてきて面白いです。
こんな写真もありました。
の特集から今回は「都落ち」を。
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牟田憲司 ギター(グレッチ=ロック・ジェット)ボーカル
堀内寛昭 ギター(リッケンバッカー)、ボーカル
津田一矢 ベース(カール・ヘフナー)、ボーカル
山本博士 ドラム(パール=プレジデント他)
以前京都に69(シックス・ナイン)というビートルズ・ナンバー専門のバンドがあったが、このバンドは71年の末に解散してしまった。しかし堀内君のもとに九州にいた津田君からバンドを作ろうという熱心な便りがあったのをきっかけに、72年の初めにグループを結成。その年の夏には牟田君が桑田って現在の編成になった。その後京都を中心に活躍してきたが、東京でも吉祥寺のOZや、大学祭などで演奏することがある。今年の4月21日には京都でリサイタルを開き、好評だった。
レパートリーは初期のビートルズ・ナンバー中心だが、最近はオリジナルも多い。ビートルズのたどった軌跡をたどりたいとうのが、グループの願望だそうである。いわゆるロックンロールのバンドとは、多少のニュアンスのちがった存在のようだ。
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「村八分」と同じくらい強烈なインパクトをもったバンド名「都落ち」。
最初に知ったのはラリーズ聞きたさに入手した「OZ DAYS LIVE」。
かつて吉祥寺にあったロック喫茶「OZ」が閉店に際して作られた
「OZ」店内でのライブ盤で、二枚組みのレコードが茶色い袋に入った仕様。
オリジナルは激レアで、かつて中身はオリジナルで外袋はパイレート盤というものがディスクユニオンで売られていました。どうやら注文が入ってから外袋を用意していたようで、中身が残っていたそうです。
今は海外製のブートが、プラケ盤/紙ジャケ盤で広く出回っているので
持っているかたも多いのではないでしょうか。私もそんな中の一人です。
二枚組みの収録内容はこちら。
A面:アシッドセブン/都落ち
B面:南正人
C面:タージ・マハル旅行団
D面:裸のラリーズ
都落ちはA面で聞くことが出来ます。
最初聞いたときにはこの時代にこんなガレージバンドいたの?という感じでした。
その他の情報が全くなく後にこのニューミュージックマガジンを手に入れて再度びっくり。
1970年代といえば海外の英米のロックに追いつこう、一方で日本語を用いた日本ならではのロックを、としのぎを削っていた時代にまさかビートルズの格好をして活動していたグループがいたとは!名前から泥臭いブルースロックを想像していたのでかなりのギャップです。
なんとこのグループの当時の映像も今はYOUTUBEで見る事ができます。
98年には再結成もしているようでこれも二曲YOUTUBEで見る事ができます。
やはりこの中で当時の映像は非常に貴重かと。
この中で当時のライブのチラシが映し出されますが卒倒もののラインナップですね。
再結成の映像をみると上手くエッセンスを取り入れてオリジナルにしたててます。
1973年といえば「バッド・ボーイズ」も「MEET THE BAD BOYS」でLPを出しているんですよね。
ということはこの時代に後期のニューロックぽいビートルズとは異なる、
初期ビートルズのコピーというのはありだったんでしょうかね。
そもそもキャロルも同時代ですし。
よくよく考えると当時のロックは長尺な印象ですが、だいたい大物の海外のロックバンドもアンコールでロックン・ロールをやっていたり、日本のバンドのクロージングもみんなでチャック・ベリーみたいなのも多かったと聞きます。
でも実際のところ、長髪族の多かったであろう当時のコンサートで、ビートルズの衣装を着た彼らはどういった評価を受けていたんでしょうか?非常に気になります。
色んなバンドを追っていくとその時代の多面性が見えてきて面白いです。
こんな写真もありました。
逆に新鮮だったんでしょう、もちろんコンサートでは大うけ、鳴り止まないアンコールの嵐でした。...京都では、”都落ち”とウエストロード・ブルースバンドが2大勢力でした。
コメントどうもありがとうございます!都落ちとウエストロードが二大勢力だったんですね!目から鱗の情報をありがとうございます。
コメントありがとうございます!私はどちらも所有していないので何とも言えないですけど・・・
一応どちらも手にしたことがある経験から言えば、中身はDU盤(?と呼ぶのか分かりませんけど)の方もオリジナルみたいなので、外身の違いでしょうか。
やはり数十年経ってますので、オリジナルはいくら保存状態がいいといえども経年劣化はあると思います。
もう一方は2000年代のものなので袋は当然新しいものになりますので、そういった違いでしょうか?
後はDU盤の方は袋の後ろの部分を新しい銀のテープで留めてありましたが、ひょっとしたらオリジナルはそれがないかも知れません。あったとしても古いものですので、剥がされているか、あったとしてもすごく古い銀のものになっているかだと思います。
ご参考になれば。
ありがとうございます。海外再発盤も見逃せないですね。またどうぞよろしくお願いします。
京大の西部講堂でキャロルを迎え撃ったのは結果的にこの2バンドだけでした。
ぼくはこの場に居ました。
この時期は最早長髪族は髪の毛を刈り始めた時期です。
ややこしい何とかロックは終わりかけていました。
その後は怒涛のごとく今に繋がる芸能ロック路線に突入した訳です。
都落ちは意識的には芸能ロック路線ではありませんで、どちらかと言うと長髪ロック路線の変異種でしたので、当然、消えていく運命だったのでしょう。
応援してくれてたのは、皆長髪族でした。
長髪族といえども、時代の流れには逆らえなかったと言うことです。このコメント SF やな!
京大の西部講堂でキャロルを迎え撃ったのは結果的にこの2バンドだけでした。
ぼくはこの場に居ました。
この時期は最早長髪族は髪の毛を刈り始めた時期です。
ややこしい何とかロックは終わりかけていました。
その後は怒涛のごとく今に繋がる芸能ロック路線に突入した訳です。
都落ちは意識的には芸能ロック路線ではありませんで、どちらかと言うと長髪ロック路線の変異種でしたので、当然、消えていく運命だったのでしょう。
応援してくれてたのは、皆長髪族でした。
長髪族といえども、時代の流れには逆らえなかったと言うことです。このコメント SF やな!
気が付く事があったら 返してや!
キャロルが西部講堂に来た時、西部講堂の北隣の長屋風のどこかの部室が控え室になっていました。
そこで、僕は結構早くからキャロルのメンバーが来るのを待っていました。
ずーと僕一人でした....そこにキャロルのメンバーが入って来ました。
3人です。確か矢沢永吉は居なかったと思います。
メンバーは皆んなウイスキーを各自ラッパ飲みしていましたが、その手はひどく震えていました。
これは、僕しか知らない情報です。
あの時、キャロルのアンプの電源を切ると言う演出にウエストロード、も都落ちもやられた訳です。