6月3,4日と2日続けて
「巨福能」を鎌倉建長寺まで観に出かけた。
今年は第十回記念公演で「黒川能」がありました。
20代前半の頃、季刊誌「銀花」(今は廃刊)で知り、
いつか観たいと思っていた「黒川能」が鎌倉まで来てくれたんだから、
これは行くきゃない!
腰痛なんか気にしてられない!←後々トンデモナイ事になりましたが(^^;)
2日目は痛みを我慢するので精一杯だった、、、。

鎌倉建長寺方丈(龍王殿)の中は、
大広間の畳敷で、舞台と客席の間に段差なし、
私は最前列でお座布団にすわって拝見。
両日とも、お能を観る前に、まず般若心経を唱え、
それから簡単な解説。
ご仏前の前で、御神事能とは!
この大らかさ、いいですねぇ(笑)
1日目は狂言「末広」、能「羽衣」
「羽衣」の舞、神がかっていた。すごかった~。
2日目は狂言「瓜盗人」、能「八島」
独特な謡い方、節回し、お囃子の拍子、掛け声など、
終わったあとも、数日しばらく頭の奥でぐるぐる回っていた。
庄内訛りいいですね。また聞きたいです!
舞台に登場してくる人の顔の大半は日に焼け、
力仕事しているガッシリとした手が印象的だった。
印の結びが違うなとか、日頃観ているお能と違いはあったけど
違い云々より、御神事能だから、とにかく有り難く、
そして楽しんで観なくてはと思った。
ー(チラシ参照)ー
山形県鶴岡市黒川地区では、数百年前から、毎年2月1日から2日にかけて
「王祇祭」が地元民の手によって行われている。
初日は当屋と言われている民家でひと夜通して,
二日目には早朝から春日神社で、初めに王祇様への
祈りや稚児の大地踏みなどの儀式があり、
続いて三番叟や狂言・能が演じられる。
この能と狂言が「黒川能」と呼ばれるものであり、
その起源は、後小松天皇第三皇子小川宮が伝えたとか、
13世紀から16世紀にかけて庄内地方を治めていた武藤氏が
京から持ち込んだとか、説がいろいろあるー
500年も延々と守り繋いできたきた力は
運命共同体そのものであり、
目に見えない大きな大きな底力を感じた。
機会があれば、もちろん体力気力があればこそですが、
山形まで観にいきたいと願うのです。

寺の造りもあるので、この簡易の揚幕の奥は
庭先が見え、御幕が上がるたびに緑が眩しかった。
↓(休憩中、揚幕の隣の襖あけたところ、こんな風景です)

皆さん、このバスで来られたのですね。
ありがとうございました。

「巨福能」を鎌倉建長寺まで観に出かけた。
今年は第十回記念公演で「黒川能」がありました。
20代前半の頃、季刊誌「銀花」(今は廃刊)で知り、
いつか観たいと思っていた「黒川能」が鎌倉まで来てくれたんだから、
これは行くきゃない!
腰痛なんか気にしてられない!←後々トンデモナイ事になりましたが(^^;)
2日目は痛みを我慢するので精一杯だった、、、。

鎌倉建長寺方丈(龍王殿)の中は、
大広間の畳敷で、舞台と客席の間に段差なし、
私は最前列でお座布団にすわって拝見。
両日とも、お能を観る前に、まず般若心経を唱え、
それから簡単な解説。
ご仏前の前で、御神事能とは!
この大らかさ、いいですねぇ(笑)
1日目は狂言「末広」、能「羽衣」
「羽衣」の舞、神がかっていた。すごかった~。
2日目は狂言「瓜盗人」、能「八島」
独特な謡い方、節回し、お囃子の拍子、掛け声など、
終わったあとも、数日しばらく頭の奥でぐるぐる回っていた。
庄内訛りいいですね。また聞きたいです!
舞台に登場してくる人の顔の大半は日に焼け、
力仕事しているガッシリとした手が印象的だった。
印の結びが違うなとか、日頃観ているお能と違いはあったけど
違い云々より、御神事能だから、とにかく有り難く、
そして楽しんで観なくてはと思った。
ー(チラシ参照)ー
山形県鶴岡市黒川地区では、数百年前から、毎年2月1日から2日にかけて
「王祇祭」が地元民の手によって行われている。
初日は当屋と言われている民家でひと夜通して,
二日目には早朝から春日神社で、初めに王祇様への
祈りや稚児の大地踏みなどの儀式があり、
続いて三番叟や狂言・能が演じられる。
この能と狂言が「黒川能」と呼ばれるものであり、
その起源は、後小松天皇第三皇子小川宮が伝えたとか、
13世紀から16世紀にかけて庄内地方を治めていた武藤氏が
京から持ち込んだとか、説がいろいろあるー
500年も延々と守り繋いできたきた力は
運命共同体そのものであり、
目に見えない大きな大きな底力を感じた。
機会があれば、もちろん体力気力があればこそですが、
山形まで観にいきたいと願うのです。

寺の造りもあるので、この簡易の揚幕の奥は
庭先が見え、御幕が上がるたびに緑が眩しかった。
↓(休憩中、揚幕の隣の襖あけたところ、こんな風景です)

皆さん、このバスで来られたのですね。
ありがとうございました。
