融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年08月03日 | 礼拝のご案内

 明日8月4日(日)は、平和聖日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「愛は平和を実現する」、賛美歌は「このこどもたちが」、「美しい大地は」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。礼拝後は、8月の定例役員会があります。

 教団では、8月第一日曜を「平和聖日」とし、平和を祈念する日になっています。ところで、そのように毎年平和を祈念しているのですが、一向に世界に平和がやって来る気配がありません。また、毎年平和について学習するのですが、自分たちの身の回りだけでも平和になっているのでしょうか。平和を祈念したり、平和の学習をしたりする意味はあるのか、そんなことを考えたりします。つまり、祈っていることや学習していることが的外れでないかどうかという考察が必要ではないかということです。

 極論すると、用意された祈祷文を一斉に唱えるだけであったり、テレビや新聞を見るように学習テキストを学ぶのであれば、その時はやった気分になったとしても、自分の血肉になるものでしょうか。そのことが、何も変わらないことの原因かも知れません。自分で調べたり勉強したりすることは大変なことですが、結局それをしないと自分の頭で考えることができないものです。ニュースでインチキ解説委員とやらが垂れ流す作り話を聞くことほど、無駄な時間はないと思います。おっと、知らぬが仏、言わぬが花か。

 


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「愛は命のパン」

2024年08月03日 | 聖書のお話

「愛は命のパン」 ヨハネによる福音書 6章34~40節

 イエスさんは、五つのパンと二匹の魚を分け合うことによって、五千人以上の人たちのお腹を満腹にしました。翌日、人々はイエスさんを捜し求めました。あのパンを食べて満腹した不思議な出来事を思い出し、再びイエスさんにパンを分けてもらいたいと願ったからです。

 イエスさんは、人々に「わたしが命のパンである。」と言いました。「命のパン」とは、毎日食べなければお腹が空いてしまうようなパンのことではありません。それを食べれば、もはや飢えたり乾いたりすることがない、命そのものを持ったパンのことなのです。

 イエスさんは、十字架で命を賭し、復活によって愛を示されました。愛こそが「命のパン」なのです。イエスさんは、私たちが愛によって生きるなら、死んでも復活すると言いました。しかし、「復活」という「しるし」よりも、互いに愛し合って生きることの方が尊いと教えられているのです。

 


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