「愛によって生きる」 使徒言行録 3章1~10節
イスラエルの人たちは、午後3時に神殿で祈りを捧げました。神殿に通じる「美しい門」という場所には、生まれつき足の不自由な人が置かれ、そこを通る人たちから施しを受けていました。信心深い人たちは彼に施しをし、彼は施しによって日毎のお金を得ることができました。
一方で信心深い人たちは、生まれつき足の不自由な人を「罪人」と呼び、見下していました。彼らの施しは、純粋に足の不自由な人の生活を心配してのことではなく、自分のために天に宝を積むためのものでした。それは、信心からの「善行」かも知れませんが、愛を伴わない行為でもありました。
ペトロは、足の不自由な人に向かって、お金ではなく、イエスさんの愛によって生きることができるように、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言い、彼の手を取って立ち上がらせました。