融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

言葉が通じた、通じなかった

2014年06月12日 | 聖書のお話
「言葉が通じた、通じなかった」 使徒言行録 2章1~13節

 人が生きていくためには、神さまを信じる信仰が必要であると思います。人は、常に自分のことを考えてしまう生き物です。そして、自分中心になり、自分が絶対になってしまうことがあります。ですから、ときには自分以外の存在に自分を委ねること、すなわち神さまを信頼して自分を委ねることが必要ではないかと思います。そのとき、自分勝手な考え方で神さまを信じるのではなく、神さまが愛の神さまであることを深く悟らせ、正しい信仰の道へと導いてくださるのがイエスさまです。人は、イエスさまの十字架と復活によって示された愛の教えを受け、神さまが愛の神さまであることを信じることができるようになれるのです。
 聖霊とは、愛の神さまを知らない人たちに、愛の神さまを宣べ伝えることのできるようにしてくださる「炎のような舌」のことです。聖霊は、子どもや大人、漁師や学者といった区別なく注がれ、霊的な言葉となって愛の神さまを宣べ伝えるために働きます。そのとき、人が弱ければ弱いほど、聖霊がその人をたくさん助けているということを忘れないようにしたいと思います。ペトロは、たくさんの弱さを持っていましたが、聖霊の助けを受けて立派な証をしました。やがて聖霊降臨の出来事は、教会の誕生日と言われるようになりました。
 教会には、多様な人たちが集められています。立場も違えば、経済的なものも違います。そして、罪を自覚するばするほど、だれも誇ることなどできなくなる集まりです。弱さを自覚する私たちが証をしたとき、言葉が通じる人も、通じない人もいるだろうと思います。それで良いのではないでしょうか。聖霊は、互いの弱さを補い、助けるために、上より与えられる希望の力なのですから。

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