クリスマスは、イエスさまの誕生を伝えるお祭りのことです。
イースターは、イエスさまの復活を伝えるお祭りのことです。イースターの前提は、イエスさまが死んだということです。
人が産まれる(生きる)、死ぬというところに、信仰の大切な部分があるように思います。考えてみれば、赤ちゃんが産まれて来るとき、お母さんは少なからず命をかけていると言えます。命が誕生する場面において、死ぬこともあり得るということです。
50歳を過ぎてくると、肉親や知人の死を経験することが多くなってきます。そんなとき、どうしても信仰的にならざるを得ないように思います。
また、よくよく考えてみると、私たちが日常、口にする肉も、鳥や豚や牛といった動物、また植物といった命の死を代償として得られています。人間の生き死には信仰的で、人間以外の生き死にはどうなのかと考えたりします。
こうしている間にも、たくさんの命が誕生し、こうしている間にも、たくさんの死があります。「大往生」なら良いと思うのですが、暴力によって無理矢理命を奪われてしまう「死」もあります。
私たちは、それらの出来事を、どのように受け止めたら良いのでしょうか。お金儲けに換算するのでしょうか。経済の問題として考えるのでしょうか。あるいは、倫理的な問題や、信仰的なこととして考えるのでしょうか。
どのように考えるべきかと言ったことは、一人ひとりが答えを持ち、その答えに責任を持つべきだろうと思います。少なくとも、高いお金を払えば、美味い料理が食べられるとだけしか考えないなら、世間を知らなさ過ぎるのではないかと思ったりします。そんなお金持ちは、世界全体の数パーセントくらいなのでしょうが、世界を意のままに動かしているのが、その数パーセントと言われていたりもしています。大丈夫か、この世界は。
いずれにしても、生きる、死ぬについて、しっかりと考えないといけないと思ったりしています。