「一羽の雀も愛していた」 ルカによる福音書 12章1~7節
~表面的には善人のように見えても、心の内に悪意を持っていたならば、それは「偽善」であり、その悪意は、まるでパン種のように作用して、やがてその人を本当の悪人へと変えてしまうものである。~そのように、イエスまは、弟子たちに向かって「偽善」に気をつけるようにと教えられました。イエスさまの教えとは、不満や敵意が心の内にあるのに気がついたなら、果たしてそう思うことが本当なのか、正しいことなのかどうなのかを考えて、悔い改めるべきところは悔い改め、間違った不満や敵意を公にしてしまわないように気をつけなさいという教えではないかと思います。
さらにイエスさまは、弟子たちのことを「友よ」と呼んで、自分たちが敵意によって攻撃されることになり、恐怖に襲われるときに、本当に恐れるべきお方を思い出せるように、予め教えてくださいました。それは、肉体しか殺すことができない人間ではなく、魂を生かすことも殺すこともおできになる神さまを恐れなさいというものでした。その神さまとは、貧しい人が捧げる犠牲の雀一羽のことも忘れず愛しておられるお方であるとも教えています。それは、これから「偽善者」と呼ばれる者たち(律法学者、ファリサイ派の人々)から迫害を受けようとしている「友人」に対する励ましの教えでもありました。
人には「恐れ」があります。互いを恐れるあまり、思考が停止してしまい、争いを起こすときもあります。イエスさまの教えは、人が恐れに取り憑かれてしまったときこそ思い出すべき教えではないかと思います。本当に恐れるべきものは、人の心の内にある罪のパン種であり、私たちを愛してくださる神さまです。その教えによって、私たちは恐れを乗り越え、互いに愛し合うことのできる可能性を持った存在になれるのではないでしょうか。