「問いかけるイエス」 ヨハネによる福音書 6章1~15節
ヨハネによる福音書に記されている「しるし」は、「イエスさん素晴らしい」と思考停止にさせるような奇跡物語ではなくて、人と人とが互いを思い、助け、愛し合うことの大切さを思い出させるために記されているのではないかと考えます。所謂「五千人に食べ物を与える」という物語も同じ事が言えます。
イエスさんは、フィリポに「この人たちを食べさせるためには、どこでパンを買えばよいだろうか。」と問いかけました。それは、フィリポを試すためでもありました。フィリポは、パンの調達場所、必要なお金、運搬に要する時間など、状況を的確に分析してイエスさんに返事をしました。フィリポの結論は、無理であるというものでした。
しかし、一人の少年が、五つのパンと二匹の魚を提供しました。おそらく、この少年は無理とは考えていなかったのではないでしょうか。少年の心の中にあるのは、諦めではなく、人々が食べることができるためにイエスさんと共に働こうとの熱い思い、すなわち「志」であったに違いありません。
イエスさんの元に集まった人々の中には、イエスさんを王にしようという人たちもいました。それは、組織を作るという考え方です。しかし、イエスさんは、いくら組織が整っていたとしても、そこに少年が持っているような志がなければ、共に働くことなどできないのではないかと問うているのだと思います。試されたのは、フィリポの志であったのかも知れません。