これは最近、花咲鉄道庭園線で撮った「ブロッケン」の三重連の写真です。何故この写真を載せたか? それは爺さんが今になって、JRから蒸気機関車が姿を消す40年ほど前の事を思い出したからです。
当時は爺さんも御多聞に漏れず、馬鹿の付くほどの「撮り鉄」だったのです。広島から3時間程掛けて伯備線の布原信号所まで出掛け、日に1本しか走らない「D51の三重連」を待ち続けたものです。
でもこの待つ時間がまた楽しみでした。鉄橋の反対側の山肌に貼りつく様に陣取った「撮り鉄」達のSL談議や、カメラの自慢話に花が咲いたからです。中には自慢げにハッセルブラッドやゼンザブロニカ等の中盤カメラや、ジャバラ式の大判カメラを使う人もいて、私のような貧乏人を羨ましがらせたものです。
当時の写真は探しても見当たらないので、「三重連」で検索してみたらこんな写真が出てきました。とても沢山の写真ですが、最初の10枚うち7枚が伯備線布原信号所のものでした。
そんなこんなで、今となっては見ることの出来なくなった「三重連」の姿を思い出しながら、その面影を庭園鉄道で再現して懐かしんでいます。