今日はどうしても一回やりたかったことにお付き合いしてくださいますでしょうか。
それは自分が一年生になるときに、「一年生になったら」の歌詞解釈をするということ‼︎(くだらん)そもそも歌詞解釈ってなんぞやといいますと、声楽とかではメジャーな世界ですが、歌詞の持つ意味を分析することです。
では行ってみましょう‼︎
そもそも一年生になったらの歌詞って。
一年生になったら 一年生になったら
友達100人できるかな
100人で食べたいな
富士山の上でおにぎりを
ぱっくんぱっくんぱっくんと
言わずと知れた春のテーマソングですね。これがユ●ワヤに流れ出すとお母さん達の労働(袋作り)が始まります。まぁそんなことはどうでもいいでしょう。
この歌詞解釈のキーは「100人」と「富士山」ですね。あとはなぜお弁当ではなくおにぎりなのかってのも実は味噌です。
じゃあさっそく100人について解釈を始めましょー。
友達100人って今ならツイッター、フェイスブックなどなど、割と簡単に実現できるわけですが、この歌が作られた時はツイッターもフェイスブックもありません。ですので、この100という数字を解釈する上では子どもにとっての100ってどういう意味合いかな?ということです。
小学校一年生のとき、100まで数えられるというのは自慢のタネだった。
小学校一年生で100まで数えられる子は結構尊敬された。
小学校一年生のとき、100円は大金だった。
思い当たることがあるのではないでしょうか?まぁつまりこれから小学生になろうという子どもにとって100という数字はかなり大きなものだったと言うことなのです。つまりこの友達100人、っていうのは小学校一年生の小学校への大きな憧れや期待を表しているものと言えます。
なぜ富士山なのか。
おにぎりをを食べる場所が桜の下でもなく、公園でもなく、「富士山の上」。これはなぜでしょうね。
まず、小学校一年生が入って来られる山ではない。それにそもそも一年生は日本で一番高い山が富士山だということは知っているかという微妙さもあるので、これはなぜなのかという疑問がますます湧いてきますね。
ここでもキーになるのは期待でしょう。大人から見ると富士山のように大きな期待を詰めて一年生達は学校へやってきます。そんな様子を表していると言えるのではないでしょうか。
あと、富士山の文化的側面から語るとすれば、富士山は昔から神様の集まる山と言われていました。そういう意味でも友達100人が集まるところに重ねたのかもしれません。
なぜお弁当ではなくおにぎりなのか。
ここで「音符の字数の関係上」とかたわけたことを言う人、だったらお弁当でなくておべんとでもいいじゃない、という話です。なのになぜおにぎりセレクトなのか。
まず、おにぎりって割と手軽であるということ。昔はお弁当の類はおにぎりであるわけだし、昔からかなり知られているものであるわけです。今時の人たちは「おにぎりwww」みたいに小馬鹿にしていますが、実際はかなり素晴らしい食事な訳よ。
まぁそんな訳なので、作詞者はこれからの長い6年間を過ごす彼らの非常食として、また友達と和気藹々と食べるお食事として、おにぎりを用意したのだろうと。
さらにおにぎりネタとしてはぱっくんの連続があり、終わりになりますよね。これはれっきとした音楽的な手法になります。同じ言葉を重ねることによって弾んだような感じを出させるものです。しかもぱっという音は破裂音なので、かなりここでも一年生達の弾む胸の内を表現しているのではないでしょうか。
というわけで、トータルで見ていくとこの歌は期待の歌であるということがお分かりになると思います。まぁこんなわけで大学一年生になるにあたり夢を叶えることができました。長々お付き合いくださりありがとうございました。
本日もポチッとよろしくお願いします。みなさん頑張っておられます。
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それは自分が一年生になるときに、「一年生になったら」の歌詞解釈をするということ‼︎(くだらん)そもそも歌詞解釈ってなんぞやといいますと、声楽とかではメジャーな世界ですが、歌詞の持つ意味を分析することです。
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一年生になったら 一年生になったら
友達100人できるかな
100人で食べたいな
富士山の上でおにぎりを
ぱっくんぱっくんぱっくんと
言わずと知れた春のテーマソングですね。これがユ●ワヤに流れ出すとお母さん達の労働(袋作り)が始まります。まぁそんなことはどうでもいいでしょう。
この歌詞解釈のキーは「100人」と「富士山」ですね。あとはなぜお弁当ではなくおにぎりなのかってのも実は味噌です。
じゃあさっそく100人について解釈を始めましょー。
友達100人って今ならツイッター、フェイスブックなどなど、割と簡単に実現できるわけですが、この歌が作られた時はツイッターもフェイスブックもありません。ですので、この100という数字を解釈する上では子どもにとっての100ってどういう意味合いかな?ということです。
小学校一年生のとき、100まで数えられるというのは自慢のタネだった。
小学校一年生で100まで数えられる子は結構尊敬された。
小学校一年生のとき、100円は大金だった。
思い当たることがあるのではないでしょうか?まぁつまりこれから小学生になろうという子どもにとって100という数字はかなり大きなものだったと言うことなのです。つまりこの友達100人、っていうのは小学校一年生の小学校への大きな憧れや期待を表しているものと言えます。
なぜ富士山なのか。
おにぎりをを食べる場所が桜の下でもなく、公園でもなく、「富士山の上」。これはなぜでしょうね。
まず、小学校一年生が入って来られる山ではない。それにそもそも一年生は日本で一番高い山が富士山だということは知っているかという微妙さもあるので、これはなぜなのかという疑問がますます湧いてきますね。
ここでもキーになるのは期待でしょう。大人から見ると富士山のように大きな期待を詰めて一年生達は学校へやってきます。そんな様子を表していると言えるのではないでしょうか。
あと、富士山の文化的側面から語るとすれば、富士山は昔から神様の集まる山と言われていました。そういう意味でも友達100人が集まるところに重ねたのかもしれません。
なぜお弁当ではなくおにぎりなのか。
ここで「音符の字数の関係上」とかたわけたことを言う人、だったらお弁当でなくておべんとでもいいじゃない、という話です。なのになぜおにぎりセレクトなのか。
まず、おにぎりって割と手軽であるということ。昔はお弁当の類はおにぎりであるわけだし、昔からかなり知られているものであるわけです。今時の人たちは「おにぎりwww」みたいに小馬鹿にしていますが、実際はかなり素晴らしい食事な訳よ。
まぁそんな訳なので、作詞者はこれからの長い6年間を過ごす彼らの非常食として、また友達と和気藹々と食べるお食事として、おにぎりを用意したのだろうと。
さらにおにぎりネタとしてはぱっくんの連続があり、終わりになりますよね。これはれっきとした音楽的な手法になります。同じ言葉を重ねることによって弾んだような感じを出させるものです。しかもぱっという音は破裂音なので、かなりここでも一年生達の弾む胸の内を表現しているのではないでしょうか。
というわけで、トータルで見ていくとこの歌は期待の歌であるということがお分かりになると思います。まぁこんなわけで大学一年生になるにあたり夢を叶えることができました。長々お付き合いくださりありがとうございました。
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