愛猫・西子と飼い主・たっちーの日常

亡き西子とキジロウ、ひとりっ子を満喫していたわおんのもとに登場した白猫ちくわ、その飼い主・たっちーの日常…です。

西子の呪い?

2024年02月05日 | 西子

このブログのタイトルになっている西子を保護してから2年ほど経ったある日、当時、住んでいた阿佐ヶ谷のアパート近くで猫風邪を拗らせて瀕死の状態だったキジロウを保護、現在の中野区に住み始めてほどなく西子が逝き、キジロウだけになりました。

しかし、自宅から徒歩数分の場所で譲渡会を開催、わおんと出会い連れ帰ることになりました。

さらにキジロウが逝き、わおんが人生最後のにゃんこになるのか、と思っている矢先にちくわがわが家にやってきました。

西子を保護する以前は、住んでいたマンションがペット禁止でした。小動物は許されていたのでハムスターを飼ったことはありますが、すぐに死んでしまいます。生き物はそれだけで、引っ越しをする直前に西子を保護しました。

それ以来、強引なまでにたっちーの生活ににゃんこが入り込んでいます。

なんだか、にゃんこが招かれているような、にゃんこに取り憑かれたような…。

もしかして、これって「あんたには死ぬまでにゃんこがまとわりつくのよぉ〜」という西子の呪い?

助けて…くれなくてもいいかも?

東京23区に大雪警報が出ました。

すでに帰宅している方も多いと思いますが、こんな日でも仕事をしている方もいると思います。

気をつけてお過ごしください。

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西子 2023年 お盆

2023年08月15日 | 西子

今年は卯年。

西子が亡くなった年も卯年。

久しぶりにお盆に時期に、西子の寺にお参りをした。

12年が経ち干支が一回りして13年目。

まだ12年? もう12年?

この12年の間にいろんなことがあり、いろんなことが変わった気がする。

キジロウがだいぶ老いてきたので、そのときがきたら、西子と同じように遺骨を埋蔵することになるのかな。

「あんまりアイツには会いたくないのよね」

西子ならそんな憎まれ口を言いそうだ。

日陰で少しゆっくりしようとしていたら、電話がかかってきたりして慌しい。

なんだか最近はいろんなことがしんどいなぁ…。

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もうすぐ10年、もう10年

2021年03月09日 | 西子

東日本大震災からもうすぐ10年になります。

そして、このブログのタイトルにもなっている西子がなくなったのが同じ年の2月1日。

もう10年も経ったのか……という思いです。

西子の記事をいくつか読み返しましたが、10年を超えた歳月が経過しているようには思えません。

それは単に私が齢を重ねたからなのかな? それとも何か別の原因があるのかな?

部屋にかざってある西子の写真に問いかけてみました。

「こっちの世界で手ぐすね引いて待っているから、慌てずにゆっくり来てね」

西子は、僕の問いには答えずにそう言っているような気がしました。

10年前は、世界がウイルスにみまわれるなど考えてもいませんでした。

パンデミックなんて映画やドラマの中だけの出来事だと思っていました。

東京に住み、いつ感染してもおかしくない生活を送っていますが、今のところ身体に異常はありません。

それなりの年齢になってきたので、気を付けなければいけないのですが……。

久しぶりに忙しさにかまけて、後回しになっている西子の墓参りに行ってみようかな?

ちなみに今回の写真は久しぶりの西子。数少ないデジカメ撮影写真です。

ちょっと色っぽいでしょ?

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西子の夢

2017年02月01日 | 西子

年末に西子の夢を見た。

元気なときのように猫ベッドで寝たまま、大きな声で鳴いている。

「どうした?」

近づいて声をかけ抱き上げた。

すると、西子の半身が猫ベッドに置き去りになった。

びっくりして、おろおろしながら「どうしよう……西子、大丈夫か?」と抱いたまま、西子に語り掛けた。

西子が「大丈夫だよ」とでもいうように、ゆっくり瞬きをしたところで目が覚めた。

西子のことで気になっていることがあった。

西子を埋葬したのは、共同の納骨堂。しかし、2年ほど前にその納骨堂がいっぱいになり、散骨することになった。

「西子はもうここにはいないのかなぁ……」

そう思うと、墓参りに行かなくなった。

同時に「個別に埋葬していればよかったかなぁ」という思いがよぎった。

所詮、人間も動物も死後は「千の風」だと思えば、墓などどうでもいいようにも思ったけど、わだかまりがあった。

そんなわだかまりを、西子は「気にしなくていいのよぉ~」と瞬きで一蹴した気がした。

今年が七回忌だ。

久しぶりに墓参りに行こう。

ちなみに、僕は夢を見ることは滅多にありません。

さらに女性が夢に登場することも滅多にありません。

にもかかわらず、西子は複数回に登場しています。

にゃんこ、恐るべし……?

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2015年 墓参り

2015年02月09日 | 西子

西子の命日の2月1日、今年は日曜日だった。

午後からバスを乗りついで、墓参りに行った。

墓地に到着したのは5時過ぎ。うす暗くなっていた。

花を手向けて手を合わせた。

僕の前にある台の上。西子が、ちょこんと座っているような気がした。

生前、あれだけうるさく鳴いていたのに黙ってじっと僕をみている。

西子と過ごした6年間、いろんなことがあった。

西子とその間の6年間は僕にとってイコールなのかもしれない。

西子が旅立ってから4年。

この間、僕は変わったのだろうか?

西子の目に、今の僕はどんなふうに移るんだろう?

だいぶ暗く寒くなってきたので、墓地を後にしようと歩きだした。

振り返っても、西子は動かずにちょこんと座ったまま僕をみていた。

どうやら、あの世の居心地は悪くないようだ。

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2014年 墓参り

2014年02月23日 | 西子

先週と先々週の週末、東京に雪が降った。

雪国の方には当たり前の積雪量かもしれないが、都心では記録的な大雪だった。

久しぶりに晴れた今週。バスを乗り継いで西子の墓参りに行った。

寒さは一段落だが、所々にまだ雪が残っていた。

花を手向けてすぐに帰るつもりだったが、なんとなく名残惜しくなったので、線香の香の中、ベンチに座って少しぼんやりしていた。

西子に逢ったのは2004年の年末も大雪だった。

西子と過ごした時間は6年とちょっと。逝ってから3年が経過した。

阿佐ヶ谷で西子と一緒に生活を始めたころのこと、キジロウを保護したときのこと…。いろんなことが去来した。

「時間が経つのは早いなぁ」

なんだか、ちょっぴり切なくなってきた。

「また来るね」

切なさを振り切るように、そう言って腰を上げた。

さぁ~明日から、またがんばるぞぉ~

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2013年 お盆

2013年08月17日 | 西子

夏休み中の仕事を片付けて、茹だるような暑さの中、西子の墓参りに行った。

身体中から噴き出す汗をぬぐいながら、花を手向け線香を上げた。

「わおんが、西子に似てきたよ。嬉しいような、困ったような…だね」

携帯の画面に西子を映して、心の中で話しかけた。

西子の正確な年齢は結局わからずじまいだったけど、若いときの西子ってやっぱりわおんに似ているような気がしている。

そして若いときの西子と過ごせなかった時間を、今、わおんと過ごしているのかもしれない。そんな気もしている。

後から来た親子連れ。高校生くらいの娘さんが長い時間、手を合わせていた。

きっと飼い主も一緒に過ごしたコも、幸せな時間を過ごしていたんだろうなあ。

西子は幸せだったのかな?

「まあ、まあってところかしらね」

蝉の鳴き声に交じって、西子が答えたような気がした。

 

写真は、暑いのに猫ベットの上から動こうとしない西子。

そういえば冷え冷えマットとか買ったけど使わなかったんだよなぁ。

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2013年 墓参り

2013年02月10日 | 西子

晴天の日曜日。西子の墓参りに出かけた。命日である2月1日を過ぎてもなかなか行けなくて、ずっと気にしていた。

墓地に着いてから、線香を買おうと受け付けに向かうと、入口にまん丸に太った猫がいた。白に帽子をかぶったようなキジ柄。手を伸ばすとスリスリしてきた。

受付を出ると、猫は僕を先導して歩いた。時折、僕が付いてきているかを確認するように後ろを振り向いた。

「ありがとう」

お礼を言って別れた。

墓地に到着すると、途中で買った花を手向け、線香をあげ、手を合わせた。

「…ったく遅かったじゃない。あたしにだってご近所の出前ってもんがあるんだからハジかかせるんじゃないわよ」

「ごめん、ごめん。どうにも忙しくて…」

「忙しいのはいいけど、気をつけなさいよ。あんたこの間も胃カメラ飲んだでしょう」

「おっ、さすが。よく知ってるね」

なんだか、西子を思うと勝手に会話が成立してしまう。

西子が逝ったのは東日本大震災があった年の2月1日。もう丸2年が経つ。つい、この間のことのようだ。

僕はこの間、どう変わっただろう。この先、どう変わっていくだろう。

変えることのできない過去を抱え、これからも、西子の墓参に来るんだろうなぁ。

 

帰りに小銭入れを落としました。中身は300円ほどで、吉野家の割引券と胃薬が入っています。拾われたら、罪悪感なく使われる金額だよなぁ…。厄払いしたと思って、あきらめようっと。

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2012年 墓参り

2012年08月19日 | 西子

お盆休みで久しぶりの連休。バスを乗り継いで、西子の墓参りに行った。

途中で飼った花を手向け、線香をあげて、手を合わせる。

  平日休みのときに良く一緒に観ていた『ちい散歩』の地井武男さんが亡くなったんだよ。

  久しぶりに阿佐ヶ谷の七夕祭りに行ったら、ネコいっぱいの飾りが金賞を取ってたよ。

  我が家で亀を飼うことになったんだよ。

2月の命日の直前に墓参りをしてから最近までの出来事を伝えた。

西子がその場ででろ~んと横になりながら、僕の話を聞いているような気がした。

「じゃあね。また来るから」

そう言って背を向けたとき、蝉の鳴き声に交じって西子のあおーんという鳴き声が聞こえたような気がした。

ちなみに写真が阿佐ヶ谷の七夕祭りで金賞を受賞した飾りです。何匹いるかな?

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サツキという名前の猫

2012年04月13日 | 西子

先日、高円寺にある猫雑貨&猫ギャラリー「猫の額」の2階別館で写真家の小西修さんの写真展が開催されていたので、足を運びました。

小西さんは、多摩川の土手で長年にわたり捨てられてしまった動物たちのお世話に奔走していらっしゃいます。映画「犬と猫と人間と」にもご夫婦で出演しているので、ご存知の方も多いと思います。

小西さんが撮影する多摩川の猫の多くは、いわば不遇の生涯を生き抜いた、あるいは思いがけずに命を奪われています。

写真を通じて猫たちが全身で訴えます。

「私たち、僕たちは何か悪いことをしたの?」

「なんで人間とともに生きることを前提に生を受けたのに、人間に疎まれなければいけないの?」

でも、そんな猫たちを救うことができるのも、また人間なのです。

そんな矛盾を感じつつ視線を移していくと、「サツキ」という名前の猫の写真に目がとまりました。

柄はまったく違いますが、丸くて大きな目と大きな耳が西子とダブりました(写真は阿佐ヶ谷に住んでいたころの西子です)。

さらにサツキのあまりにも悲惨な最期にやりきれない気持ちでいっぱいになりました。

「猫たちの瞳には、人間という生き物はどのように映っているんだろう」と思いながら、ふっと考えました。

「そうだ! 今度、生活を共にする猫がメスにゃんだったら、サツキって名前にしよう。そして、悲惨な形で生涯を終えた多摩川のサツキの分まで、力いっぱいかわいがって、舐めるようにかわいがって、大事に大切に育てて、長生きしてもらおう」

実際に、その時が訪れるかはわかりません。それがどんな意味を持つのかもわかりません。でも、なんとなくそうしたいと思いました(実際にメスにゃんを飼ったらまた「2代目 西子」とか名づけたりするかも…)。

ちなみに、小西さんは映画の中では難しい表情ばかりだったので「気難しい方なのかも?」なんて思っていましたが柔和な優しい方でした。また、どこかで写真展を開催することがあったら足を運びたいと思います。

とっても、久しぶりの更新なのに、暗い話題ですみません。でもサツキを始めとした、小西さんがお世話をしている多摩川の猫たちのことを多くの方に「感じてほしい」と思って書きました。近々、キジロウネタもアップしようと思っています。ぼちぼちやります。よろしくお願いします。

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命日に見た夢

2012年02月05日 | 西子

21日、西子の命日の夜に夢を見た。

夢の中で、僕は怒っていた。相手は西子だ。

「なんでいっちゃうんだよ。いくなよ」

西子は何も言わない。

「いくなよ」を何度も繰り返した。

西子はどんな顔をしていただろう。思い出せない。

「いくなって言ってるだろ! いくな!」

何度目かの「いくな!」で、目を覚ました。

近くに西子がいたような気がした。

命日だったので、ちょっと様子を見に来ていたのかもしれない。

それとも、飼い主を心配して1年間は近くにいたのかもしれない。

せっかく夢の中で逢えたのに、怒っちゃったね。

ごめんね、西子。今度、夢で逢ったら、西子の大好きだった膝の上で休んでもらわないとね。

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西子の一周忌

2012年02月01日 | 西子

日曜日、冷たい風が吹いた。強い風だった。

西子の一周忌。逝ったのは2月1日だが、ちょっぴり早い日曜日に墓地に向かった。

バスを待っている間、真っすぐ立っているのもつらいほどの強く冷たい風が吹いていた。

墓地についたときに、風が止んだ。

花を手向け、線香をあげて、手を合わせた。

手を合わせている間、「もう1年なんだなぁ」ということしか考えられなかった。

理由はわからないけど、なんとなく切なかった。

携帯の待ち受け画面の西子をみた。

「ちょっとぉ~、あんまりジメジメされてると安心して成仏できないじゃないよ」

「年中、ジメジメしているわけじゃないよ。たまにね。たま~に」

一瞬の間に、そんなやり取りが成立したような気がした。

猫に九生あり」という諺があるそうだ。

僕の人生の節目には、また西子は表れるのかな。

猫を被って大人しいふりをして、家に着いた途端に大声で鳴き続ける猫。ちょっぴり楽しみのような、困ったような…。表れるなら、本当に大人しい猫に生まれ変わっていてほしいんだけど…無理だろうなぁ。

 

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西子の新盆

2011年08月15日 | 西子

夏休み、パートナーの実家に行き、自宅に着いてふと思った。

「阿佐ヶ谷に行きたい」

今住んでいるところからもさほど遠くはないので、いつでも行けるのだが、なんとなく無性にパールセンター商店街を歩いてみたくなった。

歩いてみたくなった次の瞬間、もうひとつのことに気がついた。

「西子の新盆だ」

早速、お参りに行った。

「西子と同じように時期に、虹の橋を渡ったコがいるけど会っているかな?」

そんなことを思いながら手を合わせた。

翌日、阿佐ヶ谷に行った。

パールセンター商店街は、所々店が入れ替わっているけど、元気に頑張っている古い店も多い。

歩いていると「猫の病院に」向かう途中、キャリーケースに入れた西子の鳴き声にびっくりしたように道行く人が振り向いていたことを思い出した。

阿佐ヶ谷に住んでいた当時、「あおーん」と叫びながら強引に膝に乗ってくる西子を避けるためにパソコンを持ち込んで作業をしていたカフェは健在。早速、休憩した。

西子と阿佐ヶ谷に引っ越してきたのは、2005年の春。もう6年以上前になる? まだ6年しか経っていない?

この6年間、いろんなことがあった。でも、今でも西子がいなかったら、まったく違った6年間になっていたような気がする。

「ありがとう、西子」

心の中で呟きながら、携帯の待ち受け画面の西子の写真の鼻を指先でくりくりした。

西子がゴロゴロいっているような気がした。

ちなみに今回の写真は、西子の遺影とわが家の招き猫。白の招き猫は先日、パートナーと招き猫ゆかりの地である豪徳寺に行ったときに購入したもの。なかなかかわいいでしょう!

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お詫びとお礼

2011年04月10日 | 西子

「幸せな猫ちゃんだったわね」

『猫の病院』で先生のアシスタントをしていた女性に言われた一言で、何だかとっても救われた気がした。

西子が亡くなってからもうすぐ3カ月。忙しく過ごしていたら3月11日に大震災が起きた。未だに不自由な生活を強いられている方々もたくさんいる。

多くの命も失われた。唯一無二である命。残された者は、唯一無二の命をこれからも生き続ける。

生き続ける命は失われた命に支えられながら、泣いたり、笑ったり、くじけたり、がんばったり、怒ったり…。

がんばらなくてもいい。でもあきらめず一歩ずつ、少しずつ。

命は、存在するだけで価値があり意味がある。

 

コメントに返事をしようと思っていましたが、思いのほか多くの方々にたくさんいただいたので出来そうもありません。この場を借りてお礼とお詫びをさせていただきます。申し訳ありません。そして、どうもうありがとうございます。

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ちょっとお休みします。

2011年02月13日 | 西子

季節は春。阿佐ヶ谷のアパートで、弱った西子を見ながら窓を開ける。

「だいぶ暖かくなってきたね。気持ちいいだろう」

そう声をかけると、弱っていたはずの西子がはじかれたように窓の外に飛び出す。

「西子、ダメ!」

僕の声に立ち止まって、一瞬振り返るが、そのまま戸外へ――

慌てて外を見るが、そこには影も形もない。まるで風のように消える西子…。

保護した当初、僕は西子との最後をこんなふうに夢想していた。だいぶ違う別れになった。

これまで飼っていた猫は自由に外に出られるようにしていた。このため、弱ると姿を消していたので、猫が自宅で死ぬことはイメージできなかったのかもしれない。

西子も亡くなる前日まで、猫ベッドから這い出ようとしていた。野性味の欠けらもない猫だったが、ちょっぴり本能が働いたのかもしれない。

西子が亡くなる前日、家の中に人がいなくなる時間が長くなるので、誰もいない間にもしものことがあったら…と考えて病院で預かっていただいた。何かあったら、すぐに連絡するということで、携帯電話の番号を伝えた。すごく心配をしていたら、地下鉄のホームで西子の鳴き声が聞こえたような気がした。

「心配しないで、行ってきなさい」だったのか、「早く帰ってきて」だったのか…。どちらかはわからない。わからないけど、西子の「あおーん」が聞こえたような気がした。

西子が逝ってからもうすぐ2週間。キジロウは西子の体調が悪くなってからというもの、布団の上でう○ちをするようになった。最近、少しずつトイレでするようになったが「僕がいるのにいつまで西子さんのことばっかり気にして…」というキジロウなりの抗議のような気もする。

西子が亡くなったことを、数名の方のブログにコメントした。実は「3つのありがとう」を載せて数日したら、ブログを閉じようと思っていた。久しぶりに、覗きに来たらブログなくなっていたというのでは、あまりにも失礼だと思ったのだ。

でも、予想以上に多くの方が来ていただき、西子を悼んでくださった。しかも、どうやら多くの方々が、過去の記事まで読んでくださっているようだ。こうなると、簡単に閉じるわけにもいかなくなった。

こうした多くの人たちが、僕を西子との思い出をたどる小旅行に向かわせたような気がする。

感謝です。ありがとうございます。

お陰さまでバタバタした生活で、いろんなことが起きているので、ストレスが溜まっている。いつまでも落ち込んでいたら西子に申し訳が立たない。

西子はきっと見守ってくれている。精一杯生きる、一日を積み重ねていこう。

でも、すみません。ちょっとお休みします。

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