加藤千代著「わが父の愛と修羅」の中に、整腸剤ビオフェルミンが出て来た。睡眠薬中毒の加藤嘉を、だまして瓶をつめかえて、整腸剤のビオフェルミンを飲ませて、功を奏したそうしたそうである。
私の母が好きだった薬である。ビオフェルミン、ビオフェルミンと、よく言っていた。私は昨日、この薬があったら、と思っていた。
食べたくないのに、フライドポテトを揚げて食べたら、食べ過ぎて、苦しくて仕方がなかったからだ。
話は戻って、加藤嘉、一家の愛にも芸にも、仕事にも、人として真剣な生き方に感動を覚えた。妻も、娘も、父の付き人としても立派に責任を持って、こなして、妻のマコと嘉の結婚に至った経過も、結婚生活も中身が凝縮されていると思った。都会の人達の生きざまは、田舎っぺより、ずっとずっと真剣で、みんな、これ以上、出来ないぐらいの努力をする。ある時、ある都会人に「みんな真剣にベストを尽くすわよ、当たり前じゃない」と言われた。私が関東にやって来て、まず、同僚に言われた言葉は「あなた、そう思うならば、何故やらないの?」だった。関西人は、のほほんとしているからだ。私は父が亡くなってから、数年間で初めて本気を出したのである。母は⁽あんたの55歳から60歳までが、気がかりである。だから、そこを埋める保険に入って置いてくれ)と言われた言葉通りになったのである。
それに、田舎っぺは、よく食べる。どちらかというと、都会人よりは怠け者だと思う。私は怠け病であった事は認めるが、その分、頭に、しっかり、インプットして置いて、今頃になって、怠けていた分を、全部、取り戻しているのかもしれない。だって、前にも後ろにも行けない状態だったから、頭に蓄積されてしまっていたのだと思う。みんな頑張っているのだ。頑張っていても、孤独になったり、貧乏になったり、病気になったりするのだ。だから、それも芸術作品である。解決する力を私は持っていたのかもしれない。これって、頭が良いのではないの?母方おばあちゃんが、ある時、私に「寿子が一番良く出来たなあ」と言葉を強めて言った。父がある時、兄は怒るかもしれないが、智子と秀昌なら、お前の方が頭が良いと言った。私は吃驚した。鬼アホ娘と思っているはずだと、てっきり思っていたからだ。母が晩年、私に、こう言った。智子が姉で秀昌が弟の方が良かったと、母は私がアスペルガー症候群のように、社会性欠陥人間と気付いているはずなのに、妙だと思った。でも、私は兄も、私と同等か、それ以上ではないかと、密かに思っている。このような話は、名誉や学歴の話ではない。
自慢でもない。欠落家族の戯言である。