いくらでもブログが書ける。こんなに言いたい事が、たまっていたなんて、なんて、かわいそうな私でしょう。☘自己憐憫☘
前述のズーカーマンのバイオリン演奏を調べていたら、パールマンと同じ先生に師事をしていたと書いてありました。
腑に落ちました。最近、腑に落ちない事だらけにもかかわらず、腑に落ちる事があったとは。パールマンの演奏はシカゴのシンフォニーホールで聞いた事があります。私は音響の所為か、それ程、何も思わなかったが、大ホールでない方が良いのではないかと、思いながら聞いていました。そう言えば、ズーカーマンの弾き方も、こもったような味のある演奏です。パールマンとそっくりでした。
私が室内楽を始めて間もない頃、毛利伯郎さんのチェロを偶然、聞きました。バイオリンは有名な女性バイオリニスト(名前が出てきませんが) 鶴さんと弾き方がそっくりでした。それで、鶴さんに「鶴さんと毛利伯郎は同じ弾き方だったよ!」と言うと、鶴さんは子供の頃から同じ門下生だったと言いました。それまで、鶴さんは、こんな、へんちくりんな音楽経歴の女など、相手にしたくないような、呆れた、浮かない表情をしていましたが、鶴さんの表情がパッと変わりました。鶴さん曰く「不思議なんだよなあ、普通は私レベルの音楽家なら、コンサートを企画しても、ポシャルそうです。」なんで、コンサートが、ぽしゃらずに開演にこぎつけるのかが、不思議だったようです。しかもケチケチ企画で『不思議なんだよなあ』と何度も、つぶやいていました。
ひと言多い事を加えれば、まだまだ、書けます。という事は、音楽家は、ぽしゃらせる事が得意の巻きの蜥蜴的性格の証明とも言えます。
音楽家の演奏を聞くと、たまに、なんにも、ひとつも、全然何も感じない人がいます。上手に弾いているだけ、私は、ひどい演奏でも、何かあるから演奏会にこぎつけるのか、或いは、世界平和の祈りを含ませているからかと思う。何も感じられない人が、多くの曲を見事に弾きこなしていて、心配になる。無駄すぎると、でも、わかった振りをしてくれる、聴衆がたくさん付いているのだから、幸せな集まりの会かもしれない。一人も客が来ないかもしれない私よりはずっと立派である。でも、はっきりいって、どういう風に育ったら、こんな風に、なんにも感じない演奏が出来るのか?まだ、下手な方が腑に落ちるのに、パカスカ、弾きまくっている人が、いるのです。’親の顔が見てみたい’、そちらの方に好奇心が湧く。
今朝は「崖の上のポニョ」のDVDを見ました。何が言いたいのだろう?
昼寝には、たくさんの知人が出てきました。うぬぼれ、ナルシスト、自己陶酔はやめてちょ!と私が激しく思っている夢でした。勝手に誤解すんな!と夢の中で叫んでいました。
きっと、自分にも同じような部分が潜んでいるから、腹が立つのだと思いますが・・・