歌手やーい!ただし移調譜が正しく書ける人

ピアノ奏法の研究をずっとしてきたのよ!私は!

私の音楽論

2018-07-03 | 日記

いくらでもブログが書ける。こんなに言いたい事が、たまっていたなんて、なんて、かわいそうな私でしょう。☘自己憐憫☘

前述のズーカーマンのバイオリン演奏を調べていたら、パールマンと同じ先生に師事をしていたと書いてありました。

腑に落ちました。最近、腑に落ちない事だらけにもかかわらず、腑に落ちる事があったとは。パールマンの演奏はシカゴのシンフォニーホールで聞いた事があります。私は音響の所為か、それ程、何も思わなかったが、大ホールでない方が良いのではないかと、思いながら聞いていました。そう言えば、ズーカーマンの弾き方も、こもったような味のある演奏です。パールマンとそっくりでした。

私が室内楽を始めて間もない頃、毛利伯郎さんのチェロを偶然、聞きました。バイオリンは有名な女性バイオリニスト(名前が出てきませんが) 鶴さんと弾き方がそっくりでした。それで、鶴さんに「鶴さんと毛利伯郎は同じ弾き方だったよ!」と言うと、鶴さんは子供の頃から同じ門下生だったと言いました。それまで、鶴さんは、こんな、へんちくりんな音楽経歴の女など、相手にしたくないような、呆れた、浮かない表情をしていましたが、鶴さんの表情がパッと変わりました。鶴さん曰く「不思議なんだよなあ、普通は私レベルの音楽家なら、コンサートを企画しても、ポシャルそうです。」なんで、コンサートが、ぽしゃらずに開演にこぎつけるのかが、不思議だったようです。しかもケチケチ企画で『不思議なんだよなあ』と何度も、つぶやいていました。

ひと言多い事を加えれば、まだまだ、書けます。という事は、音楽家は、ぽしゃらせる事が得意の巻きの蜥蜴的性格の証明とも言えます。

音楽家の演奏を聞くと、たまに、なんにも、ひとつも、全然何も感じない人がいます。上手に弾いているだけ、私は、ひどい演奏でも、何かあるから演奏会にこぎつけるのか、或いは、世界平和の祈りを含ませているからかと思う。何も感じられない人が、多くの曲を見事に弾きこなしていて、心配になる。無駄すぎると、でも、わかった振りをしてくれる、聴衆がたくさん付いているのだから、幸せな集まりの会かもしれない。一人も客が来ないかもしれない私よりはずっと立派である。でも、はっきりいって、どういう風に育ったら、こんな風に、なんにも感じない演奏が出来るのか?まだ、下手な方が腑に落ちるのに、パカスカ、弾きまくっている人が、いるのです。’親の顔が見てみたい’、そちらの方に好奇心が湧く。

今朝は「崖の上のポニョ」のDVDを見ました。何が言いたいのだろう?

昼寝には、たくさんの知人が出てきました。うぬぼれ、ナルシスト、自己陶酔はやめてちょ!と私が激しく思っている夢でした。勝手に誤解すんな!と夢の中で叫んでいました。

きっと、自分にも同じような部分が潜んでいるから、腹が立つのだと思いますが・・・

 

 

 

 

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初耳

2018-07-03 | 日記

人生ワンクール生きていても、初耳や初食がある。「タコの日」なんて、始めて耳にした。半夏生(夏至から数えて11日目)でタコを食べる人が多いらしい。タコは薄く切って、てんぷらにするとおいしい。先日、サバ缶を初めて買ったが、焼き鳥の缶詰も初めて食べてみた。別になんとも思わなかった。これは無視と同じである。もう、たくさん生きていたら、無視だろうが、何でも気にならなくなる。人の死さえも全部受け入れてしまう。自殺や癌で死ぬ人も、みんな、それで良いとさえ、思ってしまうのである。その生きざま、そのものが芸術作品のように見えてしまうのである。結果の結晶で良いも悪いも、ないような気がする。本人が選択した人生で、自分に嘘をついて選択したわけでは、ないだろうから、それで良いと思えるのだ。又、哲学論を言っているが、こんな話は実は嫌いである。

思えば母が亡くなった事でアメリカ留学を体験できた。そして、父が亡くなった事で自作曲とピアノ奏法研究に結びついた、マリーアントワネットと宇宙人etc.のおまけ付きだった。私はすべてをあきらめて生きていたのである。そんな中で、それはそれは一生懸命努力はしていた。どこにつながるか、わからない努力をしつづけていた。母と父の死で、なんとか天命の路線に乗れたのである。父島と母島の近くの西之島の噴火と共に研究を続けていたのである。怠け者、横着者の私が、直感で閃いた事だけは怠けないでやる!をモットーにやっているだけで、研究は500枚以上、自作曲は150曲以上である。成果が有り過ぎである、という事は、どんなけ、今まで、じっと止まっていたかの証拠である。前にも後ろにも動けなかったのである。

ズーカーマンのバイオリンとデュ・プレのチェロとバレンボイムのピアノ3重奏を聞いている。3人の息がピッタリで、なんて幸せな人達だろうと思っても、デュ・プレは亡くなってしまっている。

人生に不幸は付き物か、幸せは逃げてしまうのが人生だと思う。きっと、人間はつかめない幸せを必死で追っている。私はつかめない幸せどころか、あきらめていたので、つかまえる気も起らなかっただけである。それで、自然の流れに任せていたのが功を奏したのである。つかまえられない事程、人間は必死になるので、それも又楽しい人生だと思う。又、私の嫌いな哲学論になってしまった。

かわいい黒猫を見た。ちょっと痩せている所が一層かわいい。

Cat illustration. Cartoon night landscape.

 

 

 

 

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