歌手やーい!ただし移調譜が正しく書ける人

ピアノ奏法の研究をずっとしてきたのよ!私は!

かたつむり

2018-07-22 | 日記

昨日、窓を開けると、割と大きいカタツムリがいた。写真は撮らなかった。面倒に感じたか、或いは関心がなかった。

カタツムリを見る時、田中智子音楽教室を思い出す。私は今まで、たくさん教える仕事をしてきたが、実は面倒、関心がない感じだったと思う。だから、集大成のような気持でピアノ奏法を完成させて、プラスマイナスゼロにして、帳尻を自分の中で合わせたいのだと思う。

でも、我が家だって夫婦仲は良かったけれど、いろいろあったと思う。母が踏ん張って、家庭崩壊を避けたのだと思う。写真整理をしていたら、父の会社員時代の写真がたくさん出て来た。我が家が狂い始める前と、そして、必死で日常の威厳だけは保つように踏ん張っていた頃と、戦いは終わって、あきらめムードの写真である。蛙の子は蛙である。私と父はそっくり、外人に英語が得意ではない父がバカにされているが、父は全く気付いていない写真があったが、どこかへいってしまった。これは我が家に黒雲が襲う前の写真のようだ。

父方は毛利か何かの家老に養子で入って、どうとか、こうとか、いっていたので、血が濃いのである。だから、先祖の業が父に覆いかぶさって、おまけに双子の片割れが死んでいるので、その業も背負っていたのであろう。父も私の右腕もはっきり言って、わやくちゃであった。それを半世紀かけて、直したのではない。キリッ、解明したのである。で、まともになったら、周囲には誰も居なくなったのである。だから、こうやって家族とのつながりでも、ブログにしたためているのである。

でも、後世に残る演奏を残したい気持ちはある。これが、目標かな、それから、論文のようにピアノ奏法を英語で書きたい。

それから、30年間、世界平和の祈りを祈っていて良かったとは思う。今はもう宗教会員ではないが・・・

 

 

 

 

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