国民の感情の流れがある。無意識だったり、意識したり・・
この写真から、私はダイアナ妃の地雷除去と被せている気がする。
ダイアモンド・ユカイさんの息子の交通事故の報道を見て、体操の佐藤弘道さんに見えた。
世の中は一方が憎い、或いは、憎いまではいかなくても、流れから、はじき出したい、そういう、意識か無意識があるようだ。
私はこの感情を見たくなかったから、擬態をしていた。というより、腕が落ちていたから、声帯が詰まった状態だった。
シカゴ音大の廊下を歩いている時、≪私は過去から、この表情から逃げていたと、知人や先生達の連写が始まった。あの人の表情―あの人の顏ーあの人の言い回しー逃げていた事を直視した。要は、嫌われていたと思った。気付きたくないから、認めたくないから、それに私が反対方向から一歩ずつだから、どうしても怠けているように、他人には映る。確かに、私は人様の79分の1をパッチワークのように、貼りつなげているだけ、それで、ブログも自作曲も作っているのである。最大公約数?最近、掛け算も忘れてしまった(大分前からだが)6×7は?わからん!でも、段階的に6×8は48だったから、-6して、42、思い出した。
若い人が動画のセリフか知識か膨大なのを聞いていると、頭をカチ割って、脳みそをのぞきたくなる。どうやって覚えているのだろう。私なら絶対、無理!
母が≪毒をくわばら、皿まで≫とよく言っていた。という事は、何となく気付いていたのだろう。私はそれでよい、これでよいと思っている。
昨日、父のガラスケースの中に、何か知らないがペンダントのような男性用アクセサリーを見つけた。まるで、シータが空から落ちる時に、身に付けていた飛行石のように感じた。洋服に合わないかもしれないが、これを付けて演奏したいが、一体、何曲、お預けになっているのだろう。もう、わけがわからん!
まだまだ、先になると思う。
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