歌手やーい!ただし移調譜が正しく書ける人

ピアノ奏法の研究をずっとしてきたのよ!私は!

まずい

2019-03-31 | 日記

半分ぐらい残してしまうのに作るのは、食材を腐らせるのが嫌な性分だからである。

例えば水菜が余ったので、みそラーメンに入れるしかなかった。来年は鏡餅は買わないで作ろうと思う。2合のもち米で簡単にできそうです。

父は弘明寺観音で、おみくじの大凶や凶ばかり引いた時期があった。人生はきびしかった。我が家にとっては。

いまさっき、’アーモンドアイ’がドバイの競馬レースG1で優勝したとネットで流れた。私はいつもgood timingで、たまたまアーモンドきな粉を食べた後、こういうニュースをネットで見るのである。Trust me!

珍しかったから、何故か買っておいただけである。

まずかったのはスパゲティーでした。

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「チェロ・マンテガッツア1750年製」自作曲

2019-03-29 | 日記

https://youtu.be/-7rSyUSHh6w ←クリックしてネ!

あ~あ^!どうして時代に逆流な事を頼まれもしないのに、してしまうのだろう。これはきっと無意識だと思う。意識下ではUPするな!だと思う。宗教的にもUPしてはならぬ!に違いない。或いは、全部、全員、裏があるかもしれない。右と言われたら左と言いたくなる。どうでもよいわ!

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枯れ木に花

2019-03-27 | 日記

昔の人は上手に表現する。’枯れ木に花’ ‵親不孝も孝行のうち’ などは私がとても好きな言い回しです。Why? なんか主人公ではなくて、周りの取り囲む人が、例えば嫁さんが舅を笑いながら例えていたり、後者は取り囲む他人さんが、こう思ったような成語に聞こえるからです。

ピアノを1時間弱練習した。どうして私が、ベートーヴェンのピアノコンチェルト「皇帝」を練習せなあかんのや?とも思うが、自然の流れは成程、間違いないと思う。「皇帝」は私にとっては、どちらかと言えば、弾き易い部類である。まだ1,2回譜読みどころか、ちょっとしか弾いていないが・・・

人生がつまづくのは”人間関係”らしい。いい人が人間関係が良いとは限らない。過去世からの、いろんな業を含んでいるからである。あきらめてしまえば一番楽である。

今日は先日のまぼろしのコンサートのCDをほめてもらえて、ちょっと力が湧いている。引き籠ってばかりではいけない。誰かと交流しなければ、何も生まれない。でも、自然の流れに任す。意外な女性が運を持っていた事を知った。ずっと前から、ある男性とそのお母様に思われていたらしい。高校生時代から、もてまくっていた事は耳にしていて、○○さんが失恋するとは、だとか、独身とは、だとか、彼女の同級生が言っているのを耳にした事はあった。その上、いろんな人と恋愛をして、経験もして、今頃になって、初婚同士、それも、その、ずっと前から、思われていた医者と結婚したそうだ。60歳にもなってから・・人生はわからないものだ。運を持っていた事に、びっくりしたのではない。彼女は音楽療法の勉強を続けていて、自然に路線に乗っかっていた事にびっくりしたのである。路線通り歩んでいたのである。私の路線は音楽ではあった。でも、手が赤ちゃんのように小さくて、右上腕に注射の跡のへこみもある。その上、絶対、暗譜が出来ない。これでも路線に乗っているのだろうか?一応、乗っているには乗っているかもしれない。私にはワンクール分、まるまる苦労が必要だったと思う。要するに単純な人間ではなかったので、面倒だった。

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何故、時間があるのだろう?

2019-03-26 | 日記

どうして私はチンタラ出来るのであろう?と布団の中で考えていた。どうも省略し過ぎである。起きてから、ハッと気付く。お墓参りをすっかり忘れていた。インターネットで早速、調べる。お彼岸が明けてしまっていた。昨日、たしか’本気を出す’と宣言したのに、このテイタラク、三日坊主より重症である。

でも、今日はしっかり食べました。ここ2,3日食事が、ひど過ぎる。

横着もんが米も炊かない。パックのごはんの方がましである。このパックご飯はそれ程でもない。本当はご飯の味など全然わからない。私はドもレもわからないし、チューニングなど何をやっているか、いまだにわからない。これで、まだ自作曲を作っている。最近、頭にメロディが駆け巡るのは、少なくなってきて、ほっとしている。これはコダーイという作曲家のへんてこメロディーを聞いてからである。私は音楽会に行ったあくる日はメロディー断片が頭を駆け巡って困るのである。が、この古代かコダーイか知らない作曲家のメロディーは頭をかけめぐらなかった。(出だし部分を除いては、)人間の能力は不思議である。コダーイがてっきり古典派の人と思っていたが、違うようである。なんか私は省略し過ぎである。でも、そんな人も他に居て、びっくり仰天した。そこは弾かなくてもいいよ!だって、信じられない。

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瓶の蓋

2019-03-25 | 日記

先日からジャムの蓋を開けようとするが、開けれない。昨日、兄が来ても、きっと役立たずだと思う。もっとも言うのを忘れた。兄は変である。それで自分は手抜かりない行動と自負している。滑稽である。絶対、自分からは手伝おうとしない。だから箪笥の移動なども頼めないので、全部、自分でやっている。私はかわいそうな妹である。

インターネットは悪魔であり天使である。炊事手袋をして開ければ、いい事はすでに知っていたが、ドライヤーなどで温めるとよいそうだ。やってみると、めでたく開きました。

昼寝の夢通りでした。夢の中でジャムの瓶がめでたく開いた夢を見たのです。だから、トライしたのです。又、昼夜逆転しそうです。

そろそろ本気を出そうかな!今までは助走です。助走の方が真実で、本気が、まぼろしかもしれない。

コンサートでオープニングを助走、指ならしと捉える人と、重要な位置付けをする人といる。昨年の暮れのコンサートはオープニングが圧巻過ぎて、’もう、今日はこれで十分、もう帰った方がいいかしら’と思った程、見事だった。

私や両親は、どちらかというと、先を見ている方だったと思う。父の生前中、思わず口から自然に出た。「この程度が私の力だと思うな!はっきり言って、助走よ!」と思わず父に言った事がある。父は静かに聞いていた。

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