Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

大河の端で暮らす

2009-04-15 12:43:18 | 民俗学
 伊那市沢渡と殿島を結ぶ歩道専用の天竜川の架橋が近ごろ通れるようになって、子どもたちが専用橋を渡っている光景が戻った。もともと歩車兼用で利用されていたところ、狭いこともあって上流側に車道専用橋が造られ、それまで兼用で使われていた橋が歩道専用に利用されていたものが、平成18年に起きた豪雨災害で、天竜川の増水によって橋脚が傾き、利用できなくなっていた。新たに架け替えという形で新橋が架けられたのだが、それまでは車道用に造られた橋を狭めて歩道を設け、子どもたちは通学していた。何よりかつてならあまり天竜川という大きな河川を渡って通学するというケースはそれほど多くはなかっただろうが、最近は学校の統廃合や通学区の変更などで伊那谷でもそういう光景は珍しくなくなっている。そんななかもともとこの地域は以前より橋を渡る通学が行われてきた。それだけ両地域を渡す橋は大事な役割を担ったということだろう。不思議なことは東春近という天竜川東岸の地域には、西岸の西春近のど真ん中に木裏原という地籍を所有している。いわゆる山を所有しているのとは異なり、そこには集落も存在する。そんなかかわりも東西を密接にしてきたのだろう。




 さて、そんな殿島橋の両岸には集落が密集している。とくに西岸の沢渡地区の河川際には町割り的に家が軒を連ねる。天竜川の堤防の頂に幅数メートルの管理道路があるが、その幅は場所によっては3メートルを下回るほどだ。それほど家が護岸天端に接近している。車の進入は禁止されているいわゆる管理用道路なのだが、この道を旧殿島橋の付け根から南へ少し歩いてみると、天竜川端でもこんな光景があるんだと思うほど人々の暮らしと天竜川が接近と言うよりは密着しているような気がする。もちろん車は通らないし、よその人が通ることはほとんどないこともあって、いわゆる裏通りは生活の場からすればよその人には覗かれない癒しの空間となるのかもしれない。家によっては2階のベランダに個人空間が整えられ、まさに川の景色を眼前にして休日を過ごすことができそうである。

 しかしそんな光景が常ならよいが、増水すると景色は一変するだろう。なにより殿島橋が落ちたように、増水は護岸天端まで接近し、濁った水は恐怖にもなるだろう。わたしもかつてなら河川の氾濫原のようなところに生まれ育っただけに、川とは密着した暮らしをしてきた。今でこそ川とは無縁になったが、けっこう川の風景はわたしの基本にある。それにしても護岸の頭で常に川の様子を伺いながら暮らした経験はない。洪水の被害をこの地で受けたという話はわたしがこの世に存在している間にはない。それだけめったにあることではない、もっといえば「ない」と言っても差し支えないほど確率の低いものであるのだろうが、表裏の顔を知っている人たちの暮らしぶりは興味深い。

 かつて昭和56年から57年ころにかけて飯山市で豪雨のたびに千曲川周辺で洪水被害を被った。例えば常盤地区で堤防が決壊した際には、堤防のいたるところで水が噴いていたという。たまたま切れたおかげで切れなかった地区では助かったかもしれないが、どこにでもその危険をはらんでいた。その後堤防の補強がされて当時のようなことはなくなったのだろうが、そこにも人々の暮らしがあった。大河の端で暮らすというむずがゆいような暮らし、人々はどう天竜川を見て受け止めているのだろう。
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林床の一輪

2009-04-14 12:22:58 | 自然から学ぶ

 伊那市西春近の山裾の林の中を歩いていたところ、一輪の白い花が目に入った。わたしの記憶では初めての花である。もちろん「記憶では」ということで過去に視野にまったく入ったことがないというわけではなく、意識して地面など見ていなかった時代には花に目をやり、意識的に記憶に留めようなどということはなかった。そう考えると過去に見た草花で記憶に残るものというのは極めて少ない。記憶に頼る話だからそれは個人差ということにもなり、わたしの程度の低さも露になる。話はそれるが、では「子どものころの記憶で思い浮かべられるものとはどんな花」と聞かれると意外と花が浮かんでこない。秋の野に咲いたセンブリの花やリンドウ、シロツメクサやレンゲといったものぐらいだろうか。今盛んな桜の花は浮かんでこない。そういえば学校の庭に「あったなー」とは思うが、特別視していたわけではない。むしろ盛んに口にしたスイコンボウや桑の実、野イチゴといったものは記憶に浮かんでくる。わたしの時代でもすでに野で遊ぶ時間は少なかったということになるのかもしれない。ほとんど外で遊んでいたものの、野にあるものを観察するという力は、なかなか養われていなかったということになるだろうか。

 本題に戻そう。初めて遭遇した花はもしかしたら「珍しいもの」などと思ってしまうが、実は一般的なもののよう。小林正明氏の本によれば長野県内では「東北信に多く見られる」というから南信ではそれほど多くはないのかもしれない。たった一輪に目がいき、少しばかり観察していると同じような葉が周囲にもあることに気がつく。そう思って視野を変えると実は一面に咲いている。こういうことも時おり経験するものだ。たった一輪に目が留まって「珍しいなー」と思っているとその周囲にもたくさんあったとことを後で気がつくのだ。そして「なんだ」と思うものだが、林床に一面に一輪挿しのように広がっている姿は、なかなかこころを奪うものだ。この花の名はキクザキイチゲと言うらしい。名のごとく菊に似た花をつける意味だろう。「イチリンソウ」の由来はひとつの茎に一輪だけ花をつけるところからくる。花弁に見えるのはすべてがく片だということ。白い花が一般的に多いようだが紫色のものもあるようだ。葉は春菊の葉に似ている。丈にして20センチ程度のもので確かに意識的に見なければ気がつかない人もいるだろうが、さすがに一面に咲いていればだれでも気がつくだろう。わたしが最初に目に留めた花は一面の最も縁に少しばかり離れて咲いていたものであった。

 一面に咲くキクザキイチリンソウの真ん中に廃車になってもう20年ほどたつのではないだろうかと思われる車が捨てられている。このまま動かされることなくさらに何十年も捨て置かれるのだろうが、車が朽ち果てても変わることなくこの花が毎年顔を出すとしたら、楽しくなる。
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ゆるやかな境界の喪失

2009-04-13 12:26:06 | 民俗学
 飯島吉晴氏は「子どもの遊びの変容と自我形成の危機」(『日本の民俗8 成長と人生』2009/3 吉川弘文館)のなかで「あいまい」というキーワードをとりあげている。この「あいまい」がなくなったことについては、わたしも時おり触れている。曖昧さが消えたことにより、白黒はっきりとさせようとする意識が人々の中に充満しているのである。「どちらにつくのかはっきりしろ」とぱかりに相反する意見を攻撃するようになる。あまりにはっきりしすぎているため、両者が相容れるという部分は限りなく少なくなる。これでは統一した方向を編みだすこともできないし、ましてや協和することはない。飯島氏は居住空間を例にとって桜井哲夫氏の言葉(1985『ことばを失った若者たち』講談社現代新書)をとりあげる。「伝統的な住居空間からは居間や縁側だけではなく、間を仕切っていた障子や襖などもなくなって壁にとって代わり、ダイニング・キッチンを中心にあいまいな「空間」を排除した閉鎖的な部屋である「室」中心の住居となっていった。用途や出来事が空間を規定してきた日本の生活様式からみて、このことは同時に日本の住居に日本の社会関係や精神構造の変容を物語っている」というのだ。さらに久世光彦氏の「程よい付き合いというものがなくなり、隣人というものもなくなった」という言葉を紹介する。「距離がないようで、境界線がきちんとある近所付き合いだった。向かい合って笑い転げていても、主は縁側に坐り、隣家の人は履物をはいたままなのである。ほんの五分で帰る場合もあるし、思わぬ長話になることもある」と縁側という空間を評価している(久世光彦・山本夏彦 1998 「縁側」『昭和恋々』清流出版)。この空間の喪失によって「『あいまいさ』を許容するということは、異質なもの、役にたたないもの、余計なものへの寛容を生むし、さらに…「気配」を感じ合って生きる姿勢を生む」(桜井哲夫 前掲書)というのである。「日本人の自我と結びついた「あいまいな境界領域」が近代市民社会の均質化の理論で崩壊するとともに、日本人の自我構造も大きく変動しつつある」ということらしい。

 かつて境界がはっきりしていなかったわけではなく、個人の空間には現在のような境界杭がなくとも明確な境はあったのだろう。しかし、かつては子どもがその境界に強い意識を持たなくとも日々を過ごすことができた。危険なことはあってもそれぞれが注意を呼びかけ、危険ながらも経験することで成長を遂げた。しかしながら境界を意識させ、善悪を明確にすることによって、答えの出た社会に楽しみを感じなくなっただろう。個人の生活重視いう考え方も、自らを内に向けていく結果となる。にもかかわらずスポーツにしろ、何にしろ子どもたちを誘惑する活動は今も活発である。それは子どもたちが自ら選択したものではなく、親の個人主義が外を向く手段として開花したものといえないだろうか。いじめや子どもの理由無き自殺の増加について飯島氏は「人と人とを結びつけてきた仲間との共同性が崩れて支えを失い、人びとが不安にかられたり、子どもと大人の境界が崩壊して幼いうちから「個人」として大人と同じ市場競争原理のなかで生きることを強いられるようになったためではないか」とやはり桜井哲夫氏の言葉(1992 『ボーダーレス社会』新曜社)を引用して説明しており、これを「誰もが孤独と不安にさいなまれるといった救いようのな状況」と言う。自分の中にあるさまざまな問題も自ら解決する力がなくては生きることができなくなったということだろう。いまや家族ですら支えることは困難なのである。順調に成長して親の思うように育った子どもと、果てしなくきっかけを持ち得なかった孤独な子どもには大きな差が出るのだろうが、この結果を具体的にイメージ化することは今はできない。曖昧さのなくなった時代にあって、常に結果だけを回答に求めようとする人々は、将来のこの国の人々の精神社会を最悪のものに導いていくのではないだろうか。
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「ゴミ」は消えず

2009-04-12 22:49:21 | 農村環境
 「大金をつぎ込んでハードをつくる日本とは対照的に、制度や仕組みなどのソフト面て動かしています」とは環境に対して意識の異なる国々の潮流と日本の姿を見比べて語った環境総合研究所の池田こみち氏の言葉である。『生活と自治』(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)の3月号の特集「「ゼロ」からの発想」において、池田氏へのインタビューが掲載されている。「どこかおかしくない?」と思うことは今までにも触れてきた。かなり分別回収がされるようになったゴミであるが、焼却ゴミにはさまざまなものが混じっている。排出量のもっとも大きな焼却ゴミなのだろうが、水分が多ければおのずと重くなって焼却負担を多くする。そんな焼却ゴミに剪定枝や雑草だって入る。農村地帯は今でも本来なら焼却してはいけないようなものを焼く人はけっこう多い。なにより焼かずにゴミ袋に詰めるなどといったらゴミ袋代はすごいことになる。とはいえ、好ましくないものを燃やすのはいただけないが、その気持ちは十二分に解る。農業も一事業者となれば、「農業だけに許される」というものでもないのだろうが、いずれにしても土に還すことのできるものはゴミではなく身近で循環させてほしい。しかし、いずれどう農業が方向転換するかにもよるが、農村地帯でもゴミ収集の場にそうした還元できるものがゴミ袋に詰められて出されるなどというのは珍しいことではなくなった。もちろんそれだけ非農家の人たちも多くなっているという事実があるが、農家の減少はこうしたところにも影響が出る。

 池田氏が指摘しているように日本では自治体がゴミの問題を抱え込んでいる。言われるもののいまだにモノを作っている企業側が直接回収したりするシステムは進んでいない。電化製品の大型なもの、あるいは高額なものに対してはシステム化されているものの、安価で小型のものに対しての対応は進まない。大きな、そして高額なものはそこに回収費用を加算してもそれを上回る実入りが期待できるのだろう。ところが安いもの、たとえば飲み物の容器にデポジットをかけることはできない。もちろんその方法が経済的とか合理的という判断が働いているのだろうが、結局買い換えた方が安いという意識に近いものがある。ハード優先という原点にも、ソフトよりはハードの方が日本人には向いているというものがあるのではないだろうか。それをいわゆる「箱物が好きな日本人」と形容してしまうと簡単なのだが、そこへ群がる企業がいることも事実である。それを映すような事実が『生活と自治』に掲載されている。「分別だけでは済まない現実」でとりあげられているのは、埼玉県寄居町に造られた県の最終処分場である。約98ヘクタールという広さの一角に彩の国資源循環工場が設置され2005年から稼動しているという。環境基準値の約27倍にのぼる鉛を流出させたことが発覚したり、基準の6倍というダイオキシンが検出されたことが明るみになったりと問題が相次いでいる。住民の心配をよそに県は循環工場の2期事業を進めるという。当初の施設が県の説明と異なる事情を見せたということで住民は事業に対して凍結を求めた。しかしながら「処分場は必要で、計画の見直しや凍結は難しい」というのが請願に対しての県会各派の反応だったという。ハード優先の政治の破綻は常にこういうスタイルに進んでいく。つまるところ弱者への対応はしだいにおざなりにされていく。強いてはどこでもこうした施設の建設に対して否定感を持つことになる。「へたくそな行政」の常道といえないだろうか。
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ミックスという種

2009-04-11 21:52:39 | つぶやき


 純血種で血統証のある犬から生まれる純血種が雑種であるわけはないのだろうが、こうした純血種が一度雑種と交配してしまうと「もう純血ではない」などとわけの解らないことを妻は言ったが、これは「純潔」の間違いだろう。いずれにしても妻の解釈では、純潔同士の交配でも純潔ではないから「雑」だと認識していた。もちろんその知識のないわたしも同様に思っていたが、最近は(もともとそうなのかもしれないが)「ミックス」と言うらしい。そしてそのミックスというやつがけっこう人気だという。純潔にこだわらずに癒しのために飼うのなら、わざわざ高額な純血種を手に入れなくてもよい。血統証を必要としないものの、何と何の交配種と聞くとなんとなくただの「雑」よりも素性が明かになる。ようはちまたで勝手に交配してきて「できちゃった」という類とは異なるということになる。

 そんなミックスという類の認識がなかった妻は、ミックスを購入しようとした際、それほど高額な支払いはしなくても手に入るという認識をしていた。妻の実家で飼っていた雑種が亡くなり、父や母が寂しいからといって新しく犬を飼うことになった。そこで妻は近隣にあるドッグセンターのようなところへ足を運び、お礼程度で手に入れようとしたのだが、それはあくまでも雑種を手に入れるという認識だった。そして前述したように妻にとってはミックスも雑種の仲間だと認識していた。ところが人気があるというだけに、それはただの雑種ではなくミックスなのである。数万円というお金を払って、気に入った犬を手に入れてきた。犬種で選択して純血のラブラドールレトリーバーを譲ってもらった我が家の娘のケースとは少し異なる。その娘とさほど変わりない金額でやってきた新しい家族は、年老いた父が引きずられないようにとずいぶんと小さな犬であった。パピヨンとスピッツのミックスだというが、妻が訪れた際には、すでに兄弟たちは市場に回っていて見ることはできなかった。真っ白であまり特徴のない我が家の家族になった子犬だけが「売れ残っていた」という具合である。商売にしているだけに、生後まだ30日を過ぎたくらいだというのに「これを食べさせておけばだいじょうぶ」と言われて、小さい犬はやってきた。とても固形のフードなど口にしない子犬は、みるみる痩せていくように見え、妻は右往左往した。あまりの小ささに、山付けに住んでいる父や母がすぐに飼うには心配といって、毎夜我が家の居間にやってくる。段ボール箱の縁に飛びついて外を伺う子犬の表情は、我が家の娘にはない小型犬のものである。暗くなりがちだった我が家の居間は、子犬のお陰でずいぶんとにこやかになった。いつまでこうした我が家にやってくるかは子犬しだいなのだが、もともと娘は妻の実家に1年の半分以上暮らしている。「家の犬にしてもいいんだけど」というほどにご主人になついている。

 ところで「できちゃった」ではなく意図的に交配されたミックスという種類の、少しばかり違和感を持つ。しかし、考えて見れば純血種にしても求められて交配されているものであって、ミックスとなんらかわりない。ただ「ミックスが人気」などというどことなく業者の仕業に引っかかったような風潮で、買ってしまうのもなんともいえないものではある。金儲けのためにわざと純血種に交配させるというのだから、クローンを作るのとそれほど変わらないような感じもする。あどけない表情にすべては消えていくが、少しばかり「ミックス」という世界に疑問を感じる。
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不安定な空間

2009-04-10 12:33:44 | つぶやき
 境界域というのは不自然な姿を見せる場所だと何度も触れてきた。わたしは「不安定な空間」と表現するが、それを意識してみる人は少ないかもしれない。箕輪町と辰野町の境界線上で見たものも、視点を変えてみるとこの社会の構図を考えさせられるものとなる。

 境界線を境にして片方は高く片方は低い。ちょうどその境界線は小さな洞になっていて遠目では気がつかない程度に山に向かって谷が続く。ふだんはほとんど水の流れていない水路は、農業用の用水路となって下流域の水田につながっている。ふだんはそれでよいのだが、ひとたび雨が降ると、用水路では飲み込めないほどの出水となるときもある。当然のように高い側の雨が窪んだところに流れ落ちてくるわけで、用水路で飲み込めなければ溢れた水は低い方の土地へ流れて行く。それが境界線上のことでなければこんな考え方はわたしはしなかったが、境界線であるからこそこんな不安定な心配事をすることになる。溢れ出た水が宅地などに被害を与えれば当然土地の低い側で対応しなくてはならない。しかし極端なことを言えば、高い側だけの雨が流れてくるとすればの水はよその水ということになる。しかし対応せざるを得ないのは低い側を管理している者であって、例えば悪習を放っているとか騒音を発しているという具合に明確に害の発生源として相手にできるものならともかく、不可抗力的な現象に対して、誰が対応するかは被害を受ける側ということになる。

 今回のケースが必ずしもすべて土地の高い側から流れて来るものではないことから極端なケースにはならないが、境界域とは責任の所在も曖昧な空間となる。これを自治体の境界域に限らずさまざまな境界に当てはめてみると、結局被害を被るような場所に自らを置かないということが安全な、そして安定した空間を形成することになる。隣地とのトラブルなども同様に、自らが発生源になることも、また自らが被る側としても、それぞれに信頼関係は結べない可能性がある。だからこそ抑制すべき条件というものが学習される。しかし土地というモノはそう簡単に意図通り修正できるものではない。自然のなした空間でどう秩序を形成していくかということが、条件の異なる境界域では最優先されなくてはならなくなる。もちろんこうしたどちらともいえない空間を調整するために、広域管理する人たち、例えば県とか国とかが存在することになるのだろう。こんなことは当たり前のことではないか、と言われそうであるが、それが当たり前であったなら、境界域での不安定さはとっくに解消されてしかるべきなのに、相変わらず境界域に不思議な空間が存在している。逆に捉えれば、そうし不安定さを見せる空間に身を置かないというのが策であって、だからこそ境界域に身を置いたのは仕方の無いこと、ということになるのかもしれない。わたしはよく境界域に生まれ育った意識の問題を取り上げるが、そもそも中央に身を置く者が、周縁部のことを見下すのは当たり前の認識ということになるかもしれない。

 害を被る側が行動を起こさなければならないという構図は、人間社会に日夜繰り広げられる営みの証だと、この不安定空間は教えている。
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地域公共交通

2009-04-09 12:33:34 | 農村環境
 地域の足を確保しようとわが町でも地域公共交通の試験運用が始まった。かつてあった民間の路線バスはほとんど消えてしまい、いまや採算性を考えれば地域路線バスは完全に消えてもおかしくない。そんななか地域の足として必要な路線を維持していこうという考えは以前からあったものではあるが、民間がほとんど手を出せなくなっている今、そうした地域公共交通を見直そうという自治体は多いようだ。最近盛んに歩いている南箕輪村には「まっくんバス」という地域循環のバスが走っている。ここしばらくずっと南箕輪村に足を運んでいたこともあって、何度も遭遇しているバスである。それほど面積が広くない村だけに、その村の中を循環させることにどういうニーズがあるかということになるのだろうが、それは自治体によっても異なるのだろう。とくに南箕輪村のように伊那市の中に細長く貫くように村域が入り込んでいて、本来なら地域公共交通もそうした周辺との整合が計れれば利用度が上がるのだろうが、誰のための交通かということを念頭に置くと、難しい面もあるのだろう。地域公共交通であっても、委託運営されている伊那バスの案内を見れば、路線バスとして位置づけられて確認することができる。委託される側にとっても空っぽのバスを委託されているからといって運行するほど惨めなモノはない。

 とはいえ南箕輪村のまっくんバスに遭遇しても乗車している人影をあまり見ない。伊那市に複雑に入り組むということと、保育園から大学まで揃っていると一時売りにしていた村だけに、「村」とはいうものの地方都市周縁の雰囲気を持つ地域である。そこそこの人口を有しているだけにこのバスを運行する負担がそれほど財政に対して大きいものではないだろう。にもかかわらず利用者はなかなか芳しくはないとわたしの目には映る。それはまっくんバスだけのことではないのだろう。

 わが町のパブリックコメントにこんな意見があった。「「公共交通」の「公共」とは「誰もが利用できる」という意味であり、公営であろうが民営であろうが、有料無料にかかわらず、どこに居住しようがすべての町民の必要を充たすことが基本です。たとえたった一人であっても社会的に必要ならば対応するのが「公共性」です。その上で、調整をするのが行政です」というものである。この文だけでは具体的にどういうケースなら良くてどういうケーかでは悪いのかは解らないが、どれほど公共性があっても、空っぽのまま運行するのは無意味なことである。おうおうにして希望に沿って企てられても、実際にはほとんど使われないという事例も少なくない。企てる以上は利用してもらわなくてはならないだろう。

 協議会の中で有識者として参加している国土交通省が「補助の要望が全国的に多く、限られた予算で対応するため、町からの要望額全額を補助対象とすることができない状況」であるとコメントしている。先ごろ同じような内容のニュースがNHKで放映されていた。その際にけっこう要望が多いということを知った。そしてそれらは、やはり国土交通省が協議会の中でコメントしている「他市町村の乗車料金は参考にはなるが、この町として対応した料金になるとは限らない。公共交通システムが維持できる料金設定にすることも大切だと思う」というところに関わっていく。料金をとったところでもともとが採算性のあるものではないことを前提にしている。とすれば効用とは何かということにもなる。時代は費用対効果を求められる。もちろんそうした考えが地域を見捨ててきたとも言える。きっと国土交通省のコメントの内側には、他事例をみて料金設定をするのではなく、最優先して考えるのは採算性も考えて決定するものという考えがあるのだろう。それも当然の考えで、最初から事例を真似して設定するのは妙な話なのである。

 さて、こうして協議会での議論を経て試験運用されるわけであるが、無料であってもそれを利用しようとする人は少ないだろう。もちろん高ければ利用するはずもなく、無料であることに期待は大きいかもしれないが、だからといって住民の認識は低い。ルート図と料金が書かれた案内が各戸に配布された。もう一度確認しようとしていたら、妻はすでに廃品用のストックに入れてしまっていた。当然のことで我が家でそれを利用する可能性はない。しかし、本当にそうなのかということをこのシステムを導入する側もしっかりと考えただろうかと思う。前述したように他の事例を優先してしまったら行く末は同じようにも考えられる。無料券を配布して町民に体験してもらうことも必要ではないだろうか。
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シュンランが咲く

2009-04-08 12:32:40 | 自然から学ぶ


 探検隊といって妻が甥たちを連れてわたしが山作業をしているところまで登ってきた。日ごろこうした野に暮らしていない甥たちにとっては、こんな空間が楽しくて仕方がない。彼らのふだんの空間はマチの中である。当然のようにそこに土はほとんどない。それが妻の実家にやってくれば土だらけである。甥たちは来れば毎日のように泥団子を作る。ふだんには絶対できない行動である。そう考えれば、山の中の探検などということはほとんどの子どもが知らない世界であるかもしれない。

 そんな探検隊がわたしが作業をしている所からさほど遠くない尾根を越えた場所で賑やかになった。しばらくするとわたしを呼ぶ声。道具を置き行って見るとシュンランが咲いているというのだ。丈にして10センチほどに伸びた茎の上に付いた花は、ただでさえ丈が低いのに花が地面を向いているため、草花に興味の無い人には視野に入らないかもしれない。今が最良の花期という感じである。妻にその存在を認識していたか聞くと「知らなかった」という。かつて食用にされたというシュンランも、今ではあまり見なくなった花と言われる。多くは盗掘による減少という意見もある。可憐さというか素朴さが好まれて、庭園などに植えようという人たちが多いようだ。「三浦半島では、立ち入ることのできない個人の持ち山や厳しく管理されている場所でだけ生育しているようです。ほとんど人の立ち入らないこのような場所でも、数日前には咲いていたという数株が消えて、掘り取った穴だけが残っていました。悲しいことですが、花が目立つ株には落葉をかけて、来年も無事に美しい花をつけてくれることを祈りながら別れました」というコメントを検索していたページで拝見した。かなり広範に当たり前のように分布していた花のようであるが、今ではかなり貴重な存在になったしまったようだ。

 『ウィキペディア』によれば、「ホクロ、ジジババなどの別名がある。一説には、ジジババというのは蕊柱を男性器に、唇弁を女性器になぞらえ、一つの花に両方が備わっていることからついたものとも言われる」という。花弁には赤い斑点がある。こんな具合に唇状になる花はけっこう世の中に多い。枯葉の合い間に見せるわりあい目立たない花は、葉の緑に負けてしまいそうなほど謙遜している姿である。
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人形が怖い

2009-04-07 12:48:48 | ひとから学ぶ
 月間「かみいな」という無料配布の新聞の投稿欄に次のような文が掲載されていた。「先日、9ヶ月になる長女の初節句のお祝いをしました。私が子どもの頃は、日本人形が怖くて部屋の隅っこに隠すように置いてありましたが、いま見るとひな人形も華やかでかわいいな、と毎日眺めています」というものである。「日本人形が怖くて」という部分に「そういえば」と思うものがある。子どものころ見た人形たちは、ここでいうように「怖さ」というものが多少なりとあったような気がするのだ。わたしには女の兄弟がないことから、家で見る人形は母が嫁入りの際に持ってきたものだろう。まだ幼いころにひな祭りにそうした人形が箱から出される風景を記憶のどこかに持っている。それほど大きな人形ではなかったこともあり、それを見て「怖い」と思うほどのものでもなかったのだろうが、それでも「可愛い」などと思うような人形ではなかった。その後何段飾りなどというものがテレビコマーシャルに映し出されるようになると、「人形とはこんなに華やかなものなのだ」と感心したものである。それでも人形は例えば怪談話に利用されたり、さまざまに恐怖を与えるための道具として使われてきたそんなこともあって、「怖さ」というものがどこかに印象として育ったものである。投稿されたのは女性であるが、今では「華やかでかわいい」という印象を持たれているが、それは大人になって、人形からそうした怪しさを感じなくなったからのものかもしれない。闇夜を子どもが独りで歩けば「怖い」と思うように、またかつてなら外便所しかなく、夜中には用を足しに行けずに粗相をしてしまうなんていうのも、子どもだからこそ味わった「怖さ」だと思う。そしてそうした恐怖心は、大人になって消えたとしても、どことなく記憶に残る。そうした人形の存在は、さまざまな行事としても人形に託す形で伝承されることになる。そもそも人形流しという形でひな祭りが行われていた事例は、人形というモノが独立して存在してくる以前の考え方といえるだろう。

 6月と12月の晦日には人形祓いの行事も行われている。一般に「大祓い」と言われる行事がそれである。人形に災いや患いを託して流すわけである。そう考えれば人形に託して送る行事も数多い。けしてそれらの人形は日本人形のような具体像ではないが、具体的な顔立ちを示すようになったからこそ、より一層人形に対して災いを託す気持ちが募っても不思議ではない。

 それにしても現代においても、そして大人になってもあまりにリアルな人形と対峙すれば動揺せずにはいられないものである。自分と瓜二つの人形が目の前に存在して気分はどうだろう。もっと言えば自分は生きているが、死んだ人をリアルに再現した人形があったらどうだろう。どんなにこの世に戻ってきて欲しいと思う人であっても、人形として対峙したらとても生きた心地はしないだろう。違うと解っていても似ている人を見ただけでむずがゆいものである。クローン人間など存在するのはもってのほかである。
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「送信」後の葛藤

2009-04-06 12:28:39 | ひとから学ぶ
 ふつうの郵便ではもっと考えていたかは解らない。しかし、手紙を書き終えて読み直すということはしていたものだ。その第一は誤字脱字がないかという確認と、意図することがしっかりと伝わるのかどうかということの確認でもある。いずれにしても読み直すことで、あらためて書き綴った時の気持ちを再確認することになる。もともと書き記す内容を下書きするほどのこともない手紙は、そのときの思いを素直にペン先に伝えていくことになる。手紙に訂正が並んでいては失礼になるだろうし、大きな書き直しはわざとらしくもなる。だからこそ逆に、書きながらそこそこ全体像を描きながら書いていくものだ。ところがそんな手紙も、最近は書くことがない。訂正がたやすいワープロ文であれば、訂正箇所など相手にはまったく伝わらない、完全文である。

 ところがそんな文であるせいかあまり読み直しもかつてのようにしなくなった。ようは文を書きながら読み直しているということもあるだろうが、それはかつてだってあったはずだ。かつてならあまりに訂正が大幅ならあらためて新しい紙に書き始めたものだ。いかに現代では安易に文字を綴っているかと言うことがわかる。それも手紙ならまだ良いほうかもしれない。電子メールばかりになって手紙など綴らなくなったこのごろは、ずいぶんと書きなぐりのような文を当たり前のように書くようになった。それがかつての手紙と同じものということはないが、仕事上の簡潔なやり取りと、友人や知人への親密な手紙もほとんど変わり映えのしない構成になってしまっている。

 手紙の良いところというかそれが悪いところとも捉えられるだろうが、ポストに投函してから返事が返ってくるまでの時間である。これもほかの事例でも何度も触れているが、人には待つ時間の楽しみというものがあったはずだ。「もういくつ寝るとお正月」という気持ちも同様に待つ楽しみである。それが送ったと同時に数分もかからないうちに返ってくる電子メールは、けして「待ち」がないわけではないが、その時間はとても短い。もっといえば「待つ」という思いはなくなりつつあるともいえる。待つ必要がなければ、まるでそれは会話と同じようなものに変わる。言葉を発するがごとく必要事項だけを届ける。それに対して返事をし、またそれに対応する。ここに手紙の代用という捉え方はないかもしれないが、実はこれに慣れてしまうと、手紙というものがまったく機能しなくなる、いや必要だという意識がなくなる。果たして現代人は手紙というものを書いたことがあるだろうか。さきごろある新聞の投稿欄の中に「最近は「御中」と書かずにいきなり会社名や団体名だけを宛書にしているものや、「行き」という部分を訂正もせずに返信するケースが多くなった」とモラルの低下を嘆いているものがあった。モラルどうのこうのという以前にこうした通信手段の変化は、郵便事情とともにその基本的な環境も大きく変えてしまってきていると思う。自ら安易に電子メールに頼っているところからも、自らに問わなくてはならないことはたくさんあるだろう。先日も「送信」をクリックしてから後悔をすることが何度かあった。ようは本音の部分で書いたものが、果たして相手にとってどうなのかということを送信したあとに考えた。「こんなことは書かなくてもよいことなのだろう」と。しかしそういう行為の背景にも、①相手の返信の有無、②反応の内容、③いつ返信したのか、というような反応が期待できるため、かなり安易に送信をしてしまうきらいがある。けして悪いことばかりではないが、頼っているがために、何か書かなくてもよいことまで書いてしまう自分がいて嫌になることもある。

 時代はケイタイメールが主流の時代である。まさに手紙の意識などと言うものは絶滅危惧状態なのだろうが、たとえワープロ表記であっても、手紙を書くという「時」を持たなくてはと思うこのごろである。
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桜咲く

2009-04-05 22:37:32 | つぶやき


 桜の季節である。例年になく早くに咲いているようだが、このところけっこう寒かったこともあって、「とても早い」というほどではない。飯田で開花宣言されてから、なかなかこのあたりまでやってこない。桜ほど近所であっても気候差ががあることを教えてくれるものはないのかもしれない。皆が注目するからそれを皆が感じるはずだ。そしてまた種類によってもずいぶんと咲き方に違いがある。桜好きの日本人は、あちこちに木を植えた。そしてそれほど長いときを待たなくとも、そこそこ見栄えのする姿になる。植えて間もない桜並木も、子どもが生まれて成人するころには人を呼ぶ桜の名所となる。

 妻の実家の裏山に久しぶりに入ってみた。尾根伝いに隣村に通じていた道は、今ではめったに人通りがないほど荒れ果てている。木がだいぶ混んでいるせいか、日が当たることは少ない。生えている木は多くは松であるが、ヒノキや杉も混ざる。尾根伝いの道をしばらく登ると、桜の木に出会う。周辺ではまだ早い桜なのだが、山の中に忽然と現れた桜は、満開とまではいかないものの、8分咲きを超えている。それにしても荒れ果てた感が否めない空間に、一点の花はわたしの足を向かせた。桜の木の下で天を仰ぐと、ちまたで人を寄せている桜にくらべれば、青空が花の向こうに背景として見えるほど、密度は薄い。正確にその花の種類を断定できるほど、わたしには知識はない。このあたりではヤマザクラは少し遅れて咲くものだからそれと判断しにくいのだが、咲いている場所から判断するとヤマザクラなのだろうか。8分咲きながら、すでに葉が見え始めている。満開のころには葉がしっかりと確認できるほどになりそうだ。

 人々が賑わう桜の木を訪れるほど余裕はないが、こんな具合に気のつかない場所に見つけた山の桜は、印象深い。3月の中ごろから始めた山作業が、この日ほぼ終了した。すでにヤマツツジのつぼみが赤くなり、間もなく咲きそうなものもある。なんとか咲く前に作業を終えることができた。日の沈むころに終了の安堵感をこんな具合に味わっていると、西山に風越山が浮かんでいた。手前にある峰には桜がやはり8分咲きくらいに咲いていてすでに日が陰っている。ようやく過ごしやすい日々を迎え、春は一段と実感の中にやってきている。間もなく我が家のあたりでも桜が咲くのだろう。

 撮影 2009/4/5 「風越山」
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神様はいたか

2009-04-04 09:47:44 | ひとから学ぶ
 WBCにすっかり目を奪われていて、今春のセンバツは印象の薄いものになってしまっただろう。事実国民がやれイチローが打てないとか韓国に負けたと一喜一憂していたとき、わたしも同様にセンバツの記事を読みもしなかった。オリンピックが始まるとプロ野球が沈んでしまうように、集中的な催しはとくに日本人の活躍で目を奪われてしまう。致し方ないことであるが、そんな中でも変わらず繰り広げられていた球児の舞台は、今春から改装されて真新しさを見せていたのだろう。しかしそれすら多くの人々の記憶には薄い。それでもWBC終了後はしだいにセンバツへ目が向いていったことは、わたしがそうであったように誰しもの流れだったのだろう。

 決勝戦で破れた花巻東の菊池君はこんなことを口にしている。「野球の神様が優勝はまだ早い、日本一の投手になって甲子園にまた戻ってこいと言っているんだと思う」と。決勝まできたからには「絶対勝つんだ」とのびのびやろうなんて思わないといった花巻東の気持ちは、はかなくも散ってしまったが、神様がまだ許してくれなかったのだという自らの戒めに導く辺りが、わたしたち日本人の心ありようではないだろうか。スポーツの世界ではときおりこうした言葉で敗戦を表現する選手がいる。もちろんそれはスポーツの世界だけではなく、不合格になっても自らの努力がたらなかったと言い聞かせながら、神様を掲げることはある。鼓舞させるためにも自らの努力が叶わなかった判決は神に委ねるのである。とはいえ全国の多くの高校球児の憧れの舞台での決勝戦のことである。けして菊池君は神様が許さなかったという理由で頂点に立てなかったわけではない。神様も予想できないようなほんの少しのところで判決が下ったようなものである。野球に限らずスポーツにはそういう場面というものがあるだろうが、チームという人の集団が、一瞬の動きの中で連携していく瞬間、そしてそれはほんの少しの狂いですら結果を変えてしまう。もちろん投手の失投だったとしても、必ずしもその失投から巧打を放てるわけではない。投げた、来た、打った、飛んできた、捕球する、そして次へ次へと動きは一瞬に模様替えしていく。これほど一瞬をつなぎこんでいくスポーツはほかには無いのではないだろうか。いっぽうで確かに投手交代やサイン交換という部分に時間を要し、興味の無い人たちには「こんなにだらだらしたスポーツは無い」と評されるかもしれないが、実は止まっている時間での駆け引きも、一瞬のために設けられたものであるはずだ。確かにプロ野球を見ていると長い時間がかかってスピーディーという印象を持てないゲームもある。しかし、神様でも予想つかないほどに流れが変化していく最中に、わたしたちはのめりこんで見ると、そのすべてが楽しく見えてくるはずだ。

 今回のセンバツではどちらが勝っても初めての県勢優勝というなかで思ったのは、唯一長野県勢が優勝を味わった昭和29年のセンバツを思い出す。もちろんわたしはまだこの世に生を受けていなかったから「思い出す」というのは適正ではないかもしれないが、語り草でいくらかのイメージを持っている。小さな大投手と言われた光沢毅(飯田長姫)が、マウンド上で見事な投球術を披露した。最少得点差の試合をしながら勝ち上がり、あっと言う間に頂点にたったという印象を、当時の誰もが持ったことだろう。好投手が揃ったと言われた今大会の決勝戦は、そうした意味で神様の仕業というのではなく、一瞬の出来事であったと思わせるものだった。だからこそ菊池君の言葉は、新鮮に聞こえたのだ。
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伝承の商品化

2009-04-03 12:26:54 | 民俗学
 「今の日本では、みずから多くのお金と手間をかけてわざわざ住みにくい社会を作っているのではなかろうか。われわれは、うわべだけのニセモノの氾濫する世界ではなく、大地に足をつけた本物の生き方を構築していく必要がある」と飯島吉晴氏は『日本の民俗8 成長と人生』(2009/3 吉川弘文館)のあとがきに記している。その具体的な事例は同書を読み込まなくてはならないが、前書きとあとがきの中で盛んにあげられているのが、出産の医療化や施設化という現象である。ちまたで盛んに言われるのは産科の廃止や縮小などにより、安全安心な出産が望めなくなるというものである。かつてなら出産は病ではなく、医師に頼らなくとも可能なことであった。それが今では医師なくしては出産はできないというまでになった。医療化したという意識の最たる部分かもしれない。「産婦は自分で産んだという実感や達成感を持ちにくくなり、女性の出産への貢献は顧みられなくなる」と言う。さらに松岡悦子氏が『暮らしの中の民俗学3 一生』で取り上げた事例をあげ、「松岡は、旭川市の育児サークルの母親六七人へのアンケート調査の結果、予想に反して現代の若い世代の母親の方が主に一九五○~六○年代に育児をおこなったシニア世代よりも多くの儀礼をおこなっている」と述べ、その理由は「医者の言葉とマタニティー雑誌の情報が現代の若い妊産婦の行動の指針となって」いるからだという。ここに商品化経済、消費社会が妊娠・出産を人の生身の行為として捉えず、商品提供の一場面として捉えていることが解る。松岡氏の「女性が母になる道のりをいっそう厳しいものにしている」という言葉は、「本物の生き方」とはかけ離れたものということになるのだろう。

 伝承母体の弱体化は、商品として提供する側にとっては好条件ということになるだろうか。わたしも時おり触れていることであるが、かつてなら自らおこなった作業を、「安いから」という感覚で安易に利用してきたわたしたちである。例えば修理するよりは買ったほうが安いという感覚は、使い捨て社会を築いた。同じように経済条件を天秤にかけて結論を出してきたことは数えればたくさんある。それらは商品から始まったのであろうが、今や伝承という部分においても親や年寄り、もっといえば先輩や他人という設定においても期待しないことになっている。何も知らないが知ろうと思えば方法はあるというネット社会。「そんなのネットで探した方が早いよ」という意識はわたしにもある。しかし、それは強いては人から人へ伝承するという文字ではない人と言葉という教えの世界を抹消することにもなるのだろう。医療化や施設化は、専門的な信頼できるストレートな関わりになるだろう。しかし、いっぽうでそのストレートな個人と個人のつながりは危ういものも抱えるだろう。それを表すものの一つとして飯島吉晴氏は「ゆとりを喪失した現代社会では、あの世への想像力も弱体化せざるを得ない」といい、死に向かっての心構えがなくなり、死に際してゆとりがなくなっている姿を捉える。野田正彰氏の「不鮮明になるあの世とこの世」(『あの世とこの世』)を引用し「今を十分に生きずに将来にのみ向かって生き急いできた人には、葬儀にも時間的効率を求め、業者は生者の生活をできるだけ乱さないように葬式から戒名の買い取りまでセットにして迅速に滞りなく処理し、死者は急速に記憶から忘れられた存在になっていく」と言う。本来であれば人一人の死に、もっとゆとりを持ちたいものの、損なうことのできない日常のあり方が問われる。提供されるサービスが合理的だと判断しているわたしたちにも問題はあるのだろうが、かつてなら商品化されなかった部分までもが金銭で処理される時代であることへ、まずもって危うさを抱かなくてはならない。さらに野田氏の「二○年ほど前、玉姫殿で結婚式をあげた夫妻が、その祝いの式に喜びの涙を流した父母を、家ではなく常設葬儀場『玉泉院』から送り出す時代になった」という言葉になるほどと感心してしまう。
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母親像

2009-04-02 12:34:33 | ひとから学ぶ
 車窓から西山を眺めると標高千メートルを超えるあたりから上は白くなっている。一時ずいぶんと暖かくなっていた気候は、このところずいぶんと逆戻りしたような日々が続く。そろそろと思って着用をやめたベストに、今日は袖を通していたが西山の白いものを見てそれが正しかったと気がつく。そんな光景を眺めながら、車内で出掛けに落ちてしまった袖のボタンを繕う。さすがにわたしの七つ道具のセットに、針と糸は入っていないが、実はけっこうこうした簡単な繕いをすることが多い。会社で女性に「針と糸がない?」と聞くことが年に何度かある。かつてなら「こんなのでいいかな」と女性が出してくれたものだが、最近は「ないですね」と言われることが多い。同じ質問を男性にしたことはない。これってまずいことなの?なんて貶されることもないだろうが、男性が針と糸など持っているはずもないと決め付けている。いやそのようなものを持っている人は、極めて稀だと思う。

 ところが出掛けに落としたボタンを「電車内で縫う」といって「針と糸はない?」と妻に聞く。もちろん針と糸のある場所はわたしも認識しているからこの場合は携帯用のものはないのかという質問と察知して妻は捜している。わたしの質問で正しかったのか、はたまた説明不足であったのか、さらには自らあまり考えていなかったのかは一瞬のことで解らないが、いずれにしても短い質問で出掛けの一瞬がすらっと糸が繋がったのは幸いな出来事である。その携帯のものには「ろうきん」と印字されている。きっとサービスでもらったものなのだろうが、それを見て気がつくことは、こうしたものなら男性も机のどこかに「持っていそう」ということである。

 我が家で妻が針と糸を持って縫い物をしている姿を、最近は見たことはない。まったく持つことがないことはないのだろうが、ほんの僅かなわたしが持つ程度の手仕事しかしないから、見る機会がないということだろう。しかしかつてのわたしにとっての母親とか祖母などの姿を描くと、必ず針と糸というものが登場する。母親は針仕事をするものだという姿を、子どもの記憶のどこかに持っているのである。ではなぜ現代の母親は針と糸は持たないのかということになるだろうが、着物を着ないからということもあるが、それを必要とする場面がないということになるだろう。せいぜいわたしにでもできるような繕い程度であって、例えば子どもがかぎ裂きを作ったとしてどれほどの母親がそれを補修して使わせるだろう。妻は結婚する際にミシンを購入した。家庭に必要な道具なのだろうが、使っている姿はいまだ見たことがない。無くてはならないものなのだろうが、もしかしたら無くても良いものになっている。妻の実家の縁側には、かつての足踏みのミシンが置かれている。もちろんそれを使っている姿も見たことはないが、時おりミシンを利用するような繕いを頼むと、妻は母親に御願いしている。きっとこの足踏み式のミシンが使われる時なのだろう。
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考えるほどに…

2009-04-01 12:30:04 | ひとから学ぶ


 例えばの話である。ある場面で社員の悪口を言いあう。もちろんその場面には悪口を言われている当人はいない。しかし、悪口を言われている当人がだからといって会社から去るわけではない。とすればその社員の問題点として社員の中にどうその問題が連携されているかということになるが、ケースによってはそれが虐めというものになるのだろう。不思議なもので、口に出さなくとも仕方なくかあるいは仕事上と割り切って付き合いをすることは当たり前のことなのだろう。それは地域社会においても同じであって、同じ隣組内であっても「あの人は」という言葉が裏で飛んでいようと、当人を排除するようなことはない。日本人にはそういう険しい人間関係があたかも仲良く暮らしているかのように存在する。「あの人はいい人で…」という言われ方で評される敵のいない人であっても、虐げられている人は、そんな存在を妬んだりする。どれほど人のためにと思って気を使ったところで、それが意図通りにいくわけでもないし、相手伝わらない部分は多い。具体的な事例をもとにイメージ化したとしても、果たして理解してもらったのだろうか、などと後悔することもある。いっそ何もしない方が良いのかも、などと思うこともあるが、これもまた会社とか地域といった社会においてどうそれぞれの人を引き出し、そして調和をとっていくかというときにはそういうわけにもいかない。

 金で清算のつく社会は、そうした人の心の内を置き去りにして数字で置き換えてしまう。嫌なモノは嫌だと分っていても数字で置き換えれば消化できる社会が、どれほど味気ないものか、かつてなら分っていて仕方なく従順だったのに、今はもしかしたら分っていないのではと思う場面が多い。慣れてしまった社会と言えるのだろう。

 さきごろ「自然美」で触れた小枝にぶら下がっていた実。あらためて天上へ目をやるとカラマツの大木があることに気がついた。普通の松ぼっくりとは違うということは分ったが、なるほどと大木を見上げて気がついた。カラマツの松かさがこれほど美しいものとは知らなかった。あらためて周囲を観察してみると、大木だけにたくさんの松かさが落ちている。どれをとってみてもバラの花のような造形を見せる。花のように赤や黄色の色か付いていたら見事なのだろうが、枯れ果てた色は、それほど人の目を引かない。しかし枯れ果てた色であってもその造形の美しさは変わらない。検索してみると、やはりリースとして利用されることが多いようで、そうしたページがたくさん引き出される。
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