Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

林床の一輪

2009-04-14 12:22:58 | 自然から学ぶ

 伊那市西春近の山裾の林の中を歩いていたところ、一輪の白い花が目に入った。わたしの記憶では初めての花である。もちろん「記憶では」ということで過去に視野にまったく入ったことがないというわけではなく、意識して地面など見ていなかった時代には花に目をやり、意識的に記憶に留めようなどということはなかった。そう考えると過去に見た草花で記憶に残るものというのは極めて少ない。記憶に頼る話だからそれは個人差ということにもなり、わたしの程度の低さも露になる。話はそれるが、では「子どものころの記憶で思い浮かべられるものとはどんな花」と聞かれると意外と花が浮かんでこない。秋の野に咲いたセンブリの花やリンドウ、シロツメクサやレンゲといったものぐらいだろうか。今盛んな桜の花は浮かんでこない。そういえば学校の庭に「あったなー」とは思うが、特別視していたわけではない。むしろ盛んに口にしたスイコンボウや桑の実、野イチゴといったものは記憶に浮かんでくる。わたしの時代でもすでに野で遊ぶ時間は少なかったということになるのかもしれない。ほとんど外で遊んでいたものの、野にあるものを観察するという力は、なかなか養われていなかったということになるだろうか。

 本題に戻そう。初めて遭遇した花はもしかしたら「珍しいもの」などと思ってしまうが、実は一般的なもののよう。小林正明氏の本によれば長野県内では「東北信に多く見られる」というから南信ではそれほど多くはないのかもしれない。たった一輪に目がいき、少しばかり観察していると同じような葉が周囲にもあることに気がつく。そう思って視野を変えると実は一面に咲いている。こういうことも時おり経験するものだ。たった一輪に目が留まって「珍しいなー」と思っているとその周囲にもたくさんあったとことを後で気がつくのだ。そして「なんだ」と思うものだが、林床に一面に一輪挿しのように広がっている姿は、なかなかこころを奪うものだ。この花の名はキクザキイチゲと言うらしい。名のごとく菊に似た花をつける意味だろう。「イチリンソウ」の由来はひとつの茎に一輪だけ花をつけるところからくる。花弁に見えるのはすべてがく片だということ。白い花が一般的に多いようだが紫色のものもあるようだ。葉は春菊の葉に似ている。丈にして20センチ程度のもので確かに意識的に見なければ気がつかない人もいるだろうが、さすがに一面に咲いていればだれでも気がつくだろう。わたしが最初に目に留めた花は一面の最も縁に少しばかり離れて咲いていたものであった。

 一面に咲くキクザキイチリンソウの真ん中に廃車になってもう20年ほどたつのではないだろうかと思われる車が捨てられている。このまま動かされることなくさらに何十年も捨て置かれるのだろうが、車が朽ち果てても変わることなくこの花が毎年顔を出すとしたら、楽しくなる。
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