Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地域公共交通

2009-04-09 12:33:34 | 農村環境
 地域の足を確保しようとわが町でも地域公共交通の試験運用が始まった。かつてあった民間の路線バスはほとんど消えてしまい、いまや採算性を考えれば地域路線バスは完全に消えてもおかしくない。そんななか地域の足として必要な路線を維持していこうという考えは以前からあったものではあるが、民間がほとんど手を出せなくなっている今、そうした地域公共交通を見直そうという自治体は多いようだ。最近盛んに歩いている南箕輪村には「まっくんバス」という地域循環のバスが走っている。ここしばらくずっと南箕輪村に足を運んでいたこともあって、何度も遭遇しているバスである。それほど面積が広くない村だけに、その村の中を循環させることにどういうニーズがあるかということになるのだろうが、それは自治体によっても異なるのだろう。とくに南箕輪村のように伊那市の中に細長く貫くように村域が入り込んでいて、本来なら地域公共交通もそうした周辺との整合が計れれば利用度が上がるのだろうが、誰のための交通かということを念頭に置くと、難しい面もあるのだろう。地域公共交通であっても、委託運営されている伊那バスの案内を見れば、路線バスとして位置づけられて確認することができる。委託される側にとっても空っぽのバスを委託されているからといって運行するほど惨めなモノはない。

 とはいえ南箕輪村のまっくんバスに遭遇しても乗車している人影をあまり見ない。伊那市に複雑に入り組むということと、保育園から大学まで揃っていると一時売りにしていた村だけに、「村」とはいうものの地方都市周縁の雰囲気を持つ地域である。そこそこの人口を有しているだけにこのバスを運行する負担がそれほど財政に対して大きいものではないだろう。にもかかわらず利用者はなかなか芳しくはないとわたしの目には映る。それはまっくんバスだけのことではないのだろう。

 わが町のパブリックコメントにこんな意見があった。「「公共交通」の「公共」とは「誰もが利用できる」という意味であり、公営であろうが民営であろうが、有料無料にかかわらず、どこに居住しようがすべての町民の必要を充たすことが基本です。たとえたった一人であっても社会的に必要ならば対応するのが「公共性」です。その上で、調整をするのが行政です」というものである。この文だけでは具体的にどういうケースなら良くてどういうケーかでは悪いのかは解らないが、どれほど公共性があっても、空っぽのまま運行するのは無意味なことである。おうおうにして希望に沿って企てられても、実際にはほとんど使われないという事例も少なくない。企てる以上は利用してもらわなくてはならないだろう。

 協議会の中で有識者として参加している国土交通省が「補助の要望が全国的に多く、限られた予算で対応するため、町からの要望額全額を補助対象とすることができない状況」であるとコメントしている。先ごろ同じような内容のニュースがNHKで放映されていた。その際にけっこう要望が多いということを知った。そしてそれらは、やはり国土交通省が協議会の中でコメントしている「他市町村の乗車料金は参考にはなるが、この町として対応した料金になるとは限らない。公共交通システムが維持できる料金設定にすることも大切だと思う」というところに関わっていく。料金をとったところでもともとが採算性のあるものではないことを前提にしている。とすれば効用とは何かということにもなる。時代は費用対効果を求められる。もちろんそうした考えが地域を見捨ててきたとも言える。きっと国土交通省のコメントの内側には、他事例をみて料金設定をするのではなく、最優先して考えるのは採算性も考えて決定するものという考えがあるのだろう。それも当然の考えで、最初から事例を真似して設定するのは妙な話なのである。

 さて、こうして協議会での議論を経て試験運用されるわけであるが、無料であってもそれを利用しようとする人は少ないだろう。もちろん高ければ利用するはずもなく、無料であることに期待は大きいかもしれないが、だからといって住民の認識は低い。ルート図と料金が書かれた案内が各戸に配布された。もう一度確認しようとしていたら、妻はすでに廃品用のストックに入れてしまっていた。当然のことで我が家でそれを利用する可能性はない。しかし、本当にそうなのかということをこのシステムを導入する側もしっかりと考えただろうかと思う。前述したように他の事例を優先してしまったら行く末は同じようにも考えられる。無料券を配布して町民に体験してもらうことも必要ではないだろうか。
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