Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

常識の範疇

2009-04-20 12:34:12 | ひとから学ぶ
 この4月から町の病院に新しく内科医がやってきた。医師不足が叫ばれる中、町は医師確保に積極的だったという。そのお医者さんが住むというのがわたしの住む集落なのだが、新年度総会にやってきて新規加入の挨拶をされた。ところが宴会が始まるとわたしの周りでいろいろそのことを口にする人たちがいた。やはり新規参入というケースでも入り方が少し違うといろいろ言われるものなのだ。そんななか、「今日は新規に加入したという挨拶だったのだろうか」という疑問の声があがり、まだ住んでいないのに本当に加入してくれるものなのかという疑問の声があがった。そう考えれば紹介した自治会の役員も、また挨拶をされた方も細かいことは述べなかったが、ふつうに聞き流していれば「入ったから挨拶をした」ということになる。ところが実際はまだ住んでおらず、これから家を建てるということなので、挨拶はあっても自治会加入はそれからで良かったのではないか、という意見が宴会の席であがったわけだ。わたしもこの自治会に10年ほど前に入ったものだから新規参入者である。その後にも何人か入っているが、それまでのケースと少し異なることは確かなのだ。

 そもそも自治会に入ることを拒むものでもないし、住んでいる以上は入って欲しいというのが自治体の意向でもある。だからこそ今回のケースでも町から自治会の方に内々に話があったようだし、自治会に入ってもらいたいということはお医者さんにも話を町の方でされたようだ。そして自治会に入れば最も付き合いが深くなるのは隣組ということになる。付き合いをしてみて良否を判断するわけではないので、入りたいという人を拒むことはないのだが、今回は普通ではなかった。現在人々が住んでいる空間からは少しばかり山奥に入った今までなら人が住み着くような場所ではないところに家を建てるというからだ。隣組の人たちにとってはそれは負担になることだろう。しかし隣組が了解すればいいじゃないかという具合に結局は隣組にその結論が振られ、ましてや町が積極的に進めた話を隣組が納得しないからといって蹴ることもできない状況下では「致し方ない」という雰囲気があったことだろう。人里から離れた場所に新規参入者が住み着くというケースはけして珍しい話ではない。噂によれば当局が積極的だったということで自宅も含めそのお医者さんがライフワークにしている研究の環境整備を当局が行うというようなことだ。事実はともかくとしてそうした噂のなかで同居するこうした集落の人たちもいろいろ思うところがあるわけだ。普通の人の参入ではないところにいろいろ言われるのはつきものなのだろうが、自治会にいたっては付き合いをしていくわけだから普通でなくとも普通に接していかなくてはならない。そのあたりがどうか、ということになるのだろう。

 そう考えると「自治会に入りたい」というお医者さんの言葉は、そもそも町が自治会に了解を得て欲しいという話の中で当人が気を使われて早くから「自治会に挨拶をしたい」と申し出ていたものであって、「入りたい、と言っているのだから拒む必要はない」といってまだ住み着いていないうちに自治会員にしてしまうところには、やはり勇み足的なこちらの判断があるようにも思うのだが、この思いはやはりそれまでに新規参入した人たちの事例によるところのものだ。特例的に受けとめて宴会席上で話題になったことと、それまでの慣例に照らし合わせるとどうだったのか、そして「今日の挨拶は何?」と少し勘ぐってしまうあたりが、逆を言えば自治会の役員の方に少し配慮が必要だったということではないだろうか。流れでいけば普通のケースではなかったため、挨拶はあったとしても自治会の加入は住み始めてからでも十分だっただろう。そうでないとしてもそのあたりは少し言葉を添えればよいこと。ところがそこに気がつかないあたりに今風を感じ取るのだが、どうだろう。

 お医者さんだからといって双方が特別視していたから少しばかり住民も違和感を覚えたわけだ。そしてそんな宴席の話題を役員に投げかければ「いろいろなケースがあってよい」ということで治められる。そして「入りたいと言っているのだからいいじゃないか」ということになるが、付け加えて役員さんはこんなことをいう。「そもそもあんなところに住むと言ったときに、もっと自治会の中で議論されてしかるべきだったものを、みんながいろいろ思っているのにそのまま進んでしまったところに問題があった」と。結局だれしも普通ではないということを認識したうえで、黙っていたところに問題があるのだが、そこに常識をどの程度当てはめるかということにもなるのだろう。例えば加入金が10万円必要とされていたとしよう。次の年からいきなり1万円で良いですと言われ、それまでに入った人たちに何も配慮がなかったらどうだろう。最近のお国のすることもこうした身近な自治組織の場合でもけっこうそんなことが平然と行われているように思う。いろいろあってよいとは思うが、その一方でそこに横たわっていた経験とか基本的事項の伝達は引き継いでいって欲しいものである。「前例に倣う」というのはとても保守的であるが、実はもっとも人々に安堵をもたらすものだと思う。せめて挨拶にやってきたお医者さんが、Tシャツ姿で「よろしく」と言う常識はあって欲しくないのだ。
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