Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ゆるやかな境界の喪失

2009-04-13 12:26:06 | 民俗学
 飯島吉晴氏は「子どもの遊びの変容と自我形成の危機」(『日本の民俗8 成長と人生』2009/3 吉川弘文館)のなかで「あいまい」というキーワードをとりあげている。この「あいまい」がなくなったことについては、わたしも時おり触れている。曖昧さが消えたことにより、白黒はっきりとさせようとする意識が人々の中に充満しているのである。「どちらにつくのかはっきりしろ」とぱかりに相反する意見を攻撃するようになる。あまりにはっきりしすぎているため、両者が相容れるという部分は限りなく少なくなる。これでは統一した方向を編みだすこともできないし、ましてや協和することはない。飯島氏は居住空間を例にとって桜井哲夫氏の言葉(1985『ことばを失った若者たち』講談社現代新書)をとりあげる。「伝統的な住居空間からは居間や縁側だけではなく、間を仕切っていた障子や襖などもなくなって壁にとって代わり、ダイニング・キッチンを中心にあいまいな「空間」を排除した閉鎖的な部屋である「室」中心の住居となっていった。用途や出来事が空間を規定してきた日本の生活様式からみて、このことは同時に日本の住居に日本の社会関係や精神構造の変容を物語っている」というのだ。さらに久世光彦氏の「程よい付き合いというものがなくなり、隣人というものもなくなった」という言葉を紹介する。「距離がないようで、境界線がきちんとある近所付き合いだった。向かい合って笑い転げていても、主は縁側に坐り、隣家の人は履物をはいたままなのである。ほんの五分で帰る場合もあるし、思わぬ長話になることもある」と縁側という空間を評価している(久世光彦・山本夏彦 1998 「縁側」『昭和恋々』清流出版)。この空間の喪失によって「『あいまいさ』を許容するということは、異質なもの、役にたたないもの、余計なものへの寛容を生むし、さらに…「気配」を感じ合って生きる姿勢を生む」(桜井哲夫 前掲書)というのである。「日本人の自我と結びついた「あいまいな境界領域」が近代市民社会の均質化の理論で崩壊するとともに、日本人の自我構造も大きく変動しつつある」ということらしい。

 かつて境界がはっきりしていなかったわけではなく、個人の空間には現在のような境界杭がなくとも明確な境はあったのだろう。しかし、かつては子どもがその境界に強い意識を持たなくとも日々を過ごすことができた。危険なことはあってもそれぞれが注意を呼びかけ、危険ながらも経験することで成長を遂げた。しかしながら境界を意識させ、善悪を明確にすることによって、答えの出た社会に楽しみを感じなくなっただろう。個人の生活重視いう考え方も、自らを内に向けていく結果となる。にもかかわらずスポーツにしろ、何にしろ子どもたちを誘惑する活動は今も活発である。それは子どもたちが自ら選択したものではなく、親の個人主義が外を向く手段として開花したものといえないだろうか。いじめや子どもの理由無き自殺の増加について飯島氏は「人と人とを結びつけてきた仲間との共同性が崩れて支えを失い、人びとが不安にかられたり、子どもと大人の境界が崩壊して幼いうちから「個人」として大人と同じ市場競争原理のなかで生きることを強いられるようになったためではないか」とやはり桜井哲夫氏の言葉(1992 『ボーダーレス社会』新曜社)を引用して説明しており、これを「誰もが孤独と不安にさいなまれるといった救いようのな状況」と言う。自分の中にあるさまざまな問題も自ら解決する力がなくては生きることができなくなったということだろう。いまや家族ですら支えることは困難なのである。順調に成長して親の思うように育った子どもと、果てしなくきっかけを持ち得なかった孤独な子どもには大きな差が出るのだろうが、この結果を具体的にイメージ化することは今はできない。曖昧さのなくなった時代にあって、常に結果だけを回答に求めようとする人々は、将来のこの国の人々の精神社会を最悪のものに導いていくのではないだろうか。

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