Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

歳を重ねて

2009-07-24 12:32:59 | つぶやき
 年老いていくということは致し方ないことである。わたしの祖父母がなくなったのはもう30年ほど前のこと。それでも年齢は80歳近かった。当時とすれば長生きな方だったのかもしれない。今や100歳という人も珍しくなくなってきた。80は当たり前で90歳でようやく長寿という雰囲気すら出てきている。かつてなら50歳といえばずいぶんおじさんと言うかお爺さんに見えたものだが、今はまだ現役でみな働いている。60歳で定年だといって遊んでいると妙なことを言われたりする。変わったものである。毎日帰宅する際に駅で会う先輩は、定年後ずいぶん遠くまで(松本から伊那まで)働きに来ている。もう60歳はすぎているがずいぶんと若く見える。60歳という定年はもはや定年ではないと思う。終身雇用制度が現在にまで継続されてきていれば、世の中はそのまま定年が上へ上へと延びていったものだろう。ところが年功序列が悪のように言われ、実力が重視されるようになると世の中は変わった。年老いて行く者はしだいに邪魔者になり、若年層からは相手にもされなくなる。かつてなら権力にものを言わせてものを言えたのたろうが、今ではそんなことでもしたらますます会社内で浮いてしまう。生き難くなった会社内での立場。そして定年といってもまだまだ若いその現実。当たり前のようにかつて定年が延長されていったが、それは世の中のイメージからすれば当たり前の、ごく自然な流れだったともいえる。それが60歳というあたりでストップし、それどころかむしろもっと低年齢で勧奨されて退職というスタイルも目立つ。わが社もそれを踏襲しているからなんと55歳という若さで会社を退く。すでにその時点でお先真っ暗的な悲観的な将来が見えてくる。よくもまあというほどにみなそれを当たり前のように受け止めていて、働いただけの報酬ももらえずに心身を会社に捧げている。「おかしくないの」と口にすれば口にする方がおかしいと言われる。にもかかわらずお客さんや役所から白い目で見られ、また毎日のように怒られる。病に陥らないのが不思議だ。

 真宗大谷派の「善勝寺報」530号にそんなことか触れられている。「定年退職を過ぎた若い?老人たちが、なぜか明るい顔をしていない。いつのまにか一生懸命育てた子どもや孫たちが、「年寄りは困ったものだ」と、老人を余計者扱いするようになった。だから平均寿命が延びたと言って、喜んだのも束の間、七十、八十の老人たちは、「こんな筈じゃなかった。若い者は誰のお陰で大きくなったか、忘れてはいないか」と、暗い顔をして、変わりゆく世の中について行けず、欲求不満の身を嘆くようになった」と言う。実はこの指摘はわたしには少し前の老人たちの意識だと思う。今ではそういう事実を越えて、老いた者はそうした考えを吹っ切っているように思える。先日も北海道で登山者が何人も遭難したが、高齢化社会を狙って多くの商売が繁盛するようになった。高齢者向けの楽しみはたくさん提供されていて、サラリーマンとして退職した人たちが急増して、年金支給額が下がったといっても世の中には金を持った高齢者がどんどんその世界に流れてきている。むしろ子どもたちと縁を切ったごとく自由な毎日を送る人たちもけして少なくないということである。とはいえ、年寄りの介護で明け暮れた日々を送ったのに子どもたちはとても同じことはしてくれそうもないと自分の行く末を案じる人々も多いのだろう。そして「この歳になって、こんなひどい扱いを受けるなど夢にも思わなかった」とこぼすことになる。

 世の中には運不運がある。妬んでしまえば簡単だが、だからといって人の方ばかり見ていても自らの生活は沈んでいく。結局どれほど他人を見つめていようと、自らに置き換えたときに比較として自分を置いてはいけないのだろう。他人と他人を比較視すれば面白みもあるが、他人と自分を比較してはいけないということだ。解っていてもなかなかそうはいかないものだが、よく認識しておかなくてはいけないことだ。もちろんそんな悟りをとてもわたしは開いていないが…。
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