Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

公共交通の終焉に向かって

2009-07-23 12:30:48 | つぶやき
 民間事業者では成り立たないから行政か担っている事業の一つに公共交通がある。このことも何度も触れてきたことであるが、公共に限らずバス路線に対しての住民の目は冷ややかなものである。そのいっぽうで、路線バスが見直されて廃止されるというと地域の足を奪うといって異論が出る。いずれにしても地域が考え方を見直さないと公共の交通は残せないだろう。先日も触れたリニア問題で信南交通のことに触れた。バス事業においてはかつてのような団体利用も減って、今や高速バスだけが頼りなのかもしれない。そんななかで、リニアが開けて飯田に駅でもできたらもはやバス事業者は生き残れない。まだ先のあることだからそれまでにどう事業展開していくかということを考えれば良いことだろうが、バス事業者が地域からなくなってしまったらどうかということを想像してみるとよい。

 「長野県政タイムス」の7/15版トップではこの地域公共交通について取り上げている。利用者減による経営圧迫が自治体に重くのしかかる。同紙によれば国の地域公共交通活性化再生総合事業に国全体で349件も参加しているという。そしてその予算は69億に上ると言われ、前年度予算より39億円も多いという。近在でもこの事業に関わって地域交通を再整備したという話が何件もある。流行なのか国費も増加したようだ。しかし導入したからといって状況は良くならない。どこもかしこも空気だけを運んでいる。地域住民は本気で利用する気があるのかということである。真昼間の農村地帯を循環するように走っても無駄に寄り道しているだけになる。しかし、本気で利用する気があればけして利用できない設定ではない。

 国民の税金を使って空気だけを運んでいるようでは無駄使いということになる。強制的に利用してもらうということはできないかもしれないが、そういう手立てを考えるか、そうでないとしたら辞めて違うシステムを考えるしかその無駄を有効にする方法はないのではないだろうか。歩くこともさせず、子どもたちを個々の家で送り迎えをしているような姿を小学校のころから見ていると、まず送り迎えはさせないというような方針をどこかで出すようなことをしないと車離れができないだろうし、当たり前のような車ありき社会は解消できないはずである。ましてや民主党が政権を執ると、高速道路の無料化、そして暫定ガソリン税の廃止も言われている。確かに経済波及効果は大きいかもしれないが、だからといって輪廻のごとく同じことを繰り返すような気がしてならない。ようはどれほど住民のためを思って施策を打っても、天秤に掛けられればすべて無意味なものに消えてしまうことの多いこと。この心意構造を詳らかにし、予測する方法を考え出したら、その先には総合社会システムが構築できるだろうに、それは夢の夢である。民主党のこの二つの提案は、公共交通をさらに奈落の底に突き落とすとも言われている。時代はハイブリッドが人々のニーズに追いつかないほどの人気で、その先には自動車関連業界の異変が起きるのだろう。そしてますます車社会は加速するかもしれない。ますます道路整備はとどまるところを知らないほど進むのかもしれない。リニアの先には直線弾丸道路が浮かんでくるやもしれない。まあそのころにはわたしもこの世にはいないだろうが、これが輪廻というものである。これら提案が一度導入された暁には、二度と復活はできないだろう。政権を執っても執行するまでに十分思案してほしいものである。メリットばかり聞かされているが、実は大きな転換であるとわたしは思う。
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