Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

人のいないマチ

2009-07-16 22:12:05 | ひとから学ぶ


 午前5時の風景ではない。マチにはわたし以外誰も歩いていない。かつてならこれはまさに午前5時の風景だったのだろうが、今はこれが当たり前なのかと思うほどの午後6時前の風景である。この日、わたしは飯田にある部署の慰安旅行だということで留守番を仰せつかって飯田で勤務した。定時に会社を出て飯田駅前の通りである中央通りを駅に向かって歩いた。木曜定休の店もあるようだが、だからといって定休の店ばかりというわけではない。おそらくこの日定休日の店は一割にも満たないのかもしれない。「永らくお世話になりましたが…」という貼り紙がされてシャッターの下りた店が銀座通りに見えた。高校時代に歩いた駅までの道には、かつてと同じように営業をしている店もあるが、いっぽうでつい最近、高校時代にあった店が閉じてしまったという事実も知った。高校時代は帰宅部だったから、このマチをよく歩いてものだ。高校はマチの片隅にあった。今や飯田の丘の上と言われるマチの中に、高校は一つもない。地方といえば電車内を高校生が席巻するように、彼らや彼女らくらいしか賑わいを見せる影はない。その影がこのマチには無いのである。もちろんかつては高校生だけではなかっただろう。社会人もそこそここのマチに姿を現し、そして飲み屋ではなく店にその姿を消して行ったものだ。ところがどうだろう、このマチには大人が歩いていない。かつて路上駐車で迷惑だった中央通りも、その後パーキングチケットが導入されが、今はそのようなスペースも不要なほどにマチは車の姿も少なくなった。

 ここから駅まではそこそこの道のりである。電車の時間までゆっくりあったので、それこそあたりを伺いながらゆっくりと歩いた。かろうじて風越高校の女子高生と数人、私服だからどこの高校生か定かではないが、男子高校生の3人連れに一組会っただけ。それだけのマチである。人通りが多くて、怪しい店に足を踏み入れるには人目をはばかるなんていうような雰囲気はここにはない。子どものころにはマチというのは憧れの場所だったような気がするのだが、同じ気持ちを、今の子どもたちが抱くことはないのだろう。それにしても県の合同庁舎の西方に立ち並ぶ高層ビル。いわゆる再開発でできあがった建物であるが、そんな建物に人が集まるいっぽうで、駅前から東にのびるマチは情けない状況になってしまった。集約化したビルがなぜこのマチに必要なのか何度考えても解らない。分散したマチを「歩く」という楽しみはここにはない。駅のあるマチ、そして人が暮らすマチが再生のカタチだとわたしは思うのだが、飯田にはそれは見えない。

 さて、飯田駅から電車に乗る。ほぼ同じ時間帯に乗っている伊那市駅とは少し雰囲気が違う。駅に着くごとに高校生が乗ってくるが降りていく高校生も多く、予想通り飯田側を中心とした飯田線には乗客が少ない。大人の姿がそこそこあったものの、みななかなか降りない。飯田から乗る大人の乗客は比較的遠距離組が多い。ということはどういうことかというと、比較的飯田近在の人は電車を利用しないということになる。考えてみれば若いころ電車に乗るなどということは考えてもみなかった。どれほど近くても車を利用するというこの地域独特の感覚があった。「なぜ車を使わないんだ」みたいな。前述したマチのこともそうだが、地域のこと、基本的に発想を変えないと良いマチは作れないのではないか。
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