Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

残念だった松本第一

2009-07-26 21:14:00 | つぶやき

 海の日の20日、家周りの整備をしていて一休みと思って点けたテレビに映った松本第一高校の姿が印象深かった。この日松本第一はシード校の都市大塩尻を圧倒した試合をしていた。第一印象は「打つなー」というものでこれに勝つとベスト8。かなりいいところまで行くのではという印象を持った試合だった。

 準々決勝では意外や佐久長聖がノーシードの飯山に負けた。驚くことにそのスコアも2:6というもので佐久長聖にしては「どうしたんだ」というものであった。とくに春の北信越大会の優勝校ということで優勝候補筆頭だった。エース級の投手を3人も擁していると逆に投手起用で左右されることもあるのだろう。最近の高校野球では複数の投手が必要と言われているものの、やはりエースはエースであって、不動の座を守っているような投手が必要なのだろう。エース級複数という構成は難しいのだろうということを感じたりする。

 注目した松本第一は、準々決勝では乱戦を制した。相手は3年連続の甲子園を目指していた松商学園である。最近は松商学園が甲子園に行くと一回戦負けが当たり前のようにささやかれてあまり印象が良くない。そういうレッテルを貼られている松商学園が可愛そうでもあるが、なかなか勝てないというのは松商以外が甲子園に行ってもそれほど変わるものではなく、松商学園が悪いわけではない。ただ、どうせ1回戦負けなら違うところが行った方がいいじゃないかという考えが浮上するのも解る。都市大塩尻戦でも良いピッチングをした2年生の山田。準決勝では山田の出番なく予想通り佐久長聖を破って勝ち上がった飯山を下した。予想通りの松本第一の決勝進出だった。

 いっぽういっぽうの準決勝には予定通りの長野日大と地球環境が勝ち上がった。高校野球マニアではないのでそれほど詳しいわけではないが、地球環境の姿を見てすぐに気がついたのは「このユニフォームは羽鳥カラーだ」ということである。2001年に35年ぶりに夏の甲子園出場を果たした塚原青雲高校のイメージそのものである。最近は長野県内にも良い指導者が増えた。2004年に再び甲子園出場を果たした塚原青雲であるが、塚原学園の募集停止問題から経営移譲などもあって羽鳥監督は同校を去った。その羽鳥監督が地球環境の指揮を握っているのは、このカラーを見ればすぐに解る。そして通信制の高校として設立されている同校がこうして勝ちあがってくるあたりが、羽鳥采配なのかもしれない。

 期待の松本第一は決勝で長野日大と対戦することになる。今年のベスト4はどこが頂点に立っても選手権大会初出場という顔ぶれとなった。選抜優勝校が地方大会で消えるように、最近の高校野球は「必ず」という予測は立たない。投手のその日の出来によっても異なるし、相手打線との相性というものもある。都市大塩尻や松商学園と戦っていた時のような鋭い打線がこの日は見られなかった。結局長野日大に大差で敗れてしまったが、本音のところでは松本第一に甲子園に行ってほしかった。これは地域性とも言えるだろうか。長野高校よりは松本の高校に行ってほしいと毎年思っている。とはいえ、今年の長野日大のレギュラーには伊那谷の出身者が3人もいる。ようは「長野」とは言っても県内から集まっている。かつての松商学園のようなものである。思い出すに、かつては野球なら松商学園という印象があった。このあたりからも松商に野球のために行った生徒がいたものである。ところが最近は伊那谷から松商に行く生徒があまり見られなくなった。最近とくに多いのが佐久長聖である。そしてかつて松商で監督をしていた中原氏が長野日大に迎えられてからというもの、野球なら松商というこれまでの進学ストーリーに変化が現れている。松本市域からは松商学園を目指す生徒が多いのだろうが、それ地以外の地域からは選択肢が多くなったといってもよい。なぜ伊那谷では松商から佐久長聖へとストーリーに変化が現れたのか、その背景には理由があるはず。松商学園にとっては厳しい時代が訪れているのかもしれないが、こうして有力校が何校も現れることで少しずつではあるが競争が高まり、また見ている側も楽しくなる。

 さて、松本第一といえばかつての本郷高校である。わたしの時代には調理師学校というイメージがあった。校名が現在の松本第一になったのはそう遠くないことなのだろうと思ったら、昭和59年のことというからもう25年ほど前のこと。本郷高校だったということを知っている人は、年寄りの証明なのかもしれない。

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