Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

三度リニア

2009-07-20 21:22:13 | ひとから学ぶ
 三度リニアに触れてしまうことになんともやるせない気持ちが出るのも致し方ないか…。

 羽生正昭氏はこう言う。「単なる一民間企業の仕事ではない、今回のリニア中央新幹線は公共性があると言う主張は当然ですが、その公共性とは日本の基幹路線として首都圏と主要都市の名古屋・大阪間を短時間で大量に快適に安く輸送する事です。この公共性が前提の上に、通過する都道府県に駅を作り、若干でも地域貢献をし、日本国土のバランス良い形成を企図している訳けです。ローカルな発想で路線を曲げてまで延長し、駅を作って貰うとは本末転倒であり、国有鉄道の時代のご当地ソング的考えで、ローカル線の場合の誘致の時に使う手法と思います」といったものだ。連載の内容をよく読んでいくと不可解な部分が多いことに気がつく。これは一例にしか過ぎず、すべてをあげればきりがない。

 この意見のどこに問題があるか、順を追っていこう。民間企業が自分で建設すると言っているのに政治的にいろいろ口を出すのはおかしいという声がある。冒頭の言葉はそこにかかわっている。そもそも民間企業であっても何でも勝手にできるわけではない。道路を造るにしても大規模造成をするにも、人の管理空間を侵すとなれば協議が必要になる。川を渡るには河川占用が必要だし、道路と交差するとすれば道路協議が必要だ。いずれも役所が管轄している部分であって、たとえ飯田だけを通過するといっても国有地や県有地を通過することは必然である。それらを意識せず「自力で造る」と言った松本社長には、わが身を完全な民間企業だとは思っていないといってもよいだろう。なぜならそこまでしても国や行政はそっぽを向かず跪くと考えているわけで、これが単なる民間企業といえるだろうか。民営化されてもう何十年も経つかもしれないが、この大企業は相変わらずかつての意識は捨てていないはずである。そもそもかつてのまま国営であったなら、今でもJR指定業者しか関われないような関係はなかっただろう。それは税金を使っているという視線がこれほどまでに強くなってくれば、もっとオープンにならざるを得ないわけである。それが民営化されたことで、かつての権力は持ったまま、そうした内向きなサポートが許されるようになるのである。

 公共性と言うが、人の土地を通る以上はその土地の人たちの意向に沿わなければならないというのは常である。もちろん強制収用のようなことが行われることはあるが、それこそ民間企業がそこまでしてやれるだろうか。やれるとしたらやはり単なる民間企業ではないのである。このあたりが国が行う、あるいは行政が行う土木事業と特殊な民間が行う土木事業の違いなのである。いわゆる普通の民間にこんなことができるはずもない。公共性の旗印が首都圏と主要都市を結ぶというものだと地方の人間が口にするのもいかがなものだろう。そもそも首都集中にさせてきた最近の国の考えは、今改めるべき時代にきているはず。このままさらに東京―名古屋―大阪を中心にした機能を「公共性」という名の下で整備することは、果たして地方分権を口にする人たちには納得できないのではないだろうか。それを地方の人間が口にするとすれば、そういう人たちは自分の胸に手をやってよく考えてみるべきである。とくに「日本国土のバランス」などというのは問題外の意見である。そして自らの懐の中を通過するというのだから、ローカルな意見があって当然である。それをいかにも「国のために」みたいに掲げるのは、どうみても胡散臭いと思われても仕方ない。ようは逆の立場だったらどうなのか、同じ事を言えるのかということである。JR東海は中間駅などなくても良いと考えている。まずもってこのあたりからして前述したような権力にものを言わせている普通ではない視点がうかがえるわけである。とくに山梨や長野には駅など無くても良いと思っているのが本音のはず。とすればどんな手を使ってもBルートを走って駅が複数できれば通過するだけの地域にとっては得なことなのである。わたしたちにとっては、そこで10分や20分東京―名古屋間に時間を要してもまったく関係ないことなのだろから。

 という具合に結局羽生さんの意見はCルートなら必ずこの地に駅ができるという確率を求めて、そこに「大局的な」という口上で他人を批判しているに過ぎないのである。この地域の多くの人たちがもし同じような意見を持っているのなら、それは違うのではないかと解ってほしいものである。
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