Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

梅雨空の下のうわごと

2009-07-25 16:37:13 | つぶやき
 「マニフェストばらまき過熱 問題は財源」というニュースが流れた。国民の関心が高まって、投票率も上がるのではないかと言われている総選挙。まだマニフェストは自民党民主党ともに出されていないものの、この見出しのようにずいぶんと「良いことばかり」流して、国民の気を引こうとしているのは歴然としている。民主党が前倒しを連発しているそんな重点項目、とりわけ子ども手当の全額支給に毎年5.5兆円というのはなかなかのものである。とかく福祉政策に対してはばらまきという言葉があまり使われないが、そうした手当てをすることで子どもを生みたい、育てたいという人が本当に増えるのかというところは疑問を抱く。社会構造、そして何より人々の意識の中に家族というものがウェイトをしめなくなってきている。この状況がかつてのような意識に戻っていくとは思えないわけで、競争に打ちひしがれた普通の社会人に、そうした希望が湧いてくる兆しはない。もしこうした人気取りのような政策で動かされる国民であったとしたら、さらに子どもたちに托せない時代がやってくると言わざるを得ないわけである。ばらまきの先に見えてくるのは、さらなる格差とわたしは考えている。

 太陽光発電施設を設置している住宅とそうでない住宅では電気料金に差をつけるという制度が来年4月から開始するというニュースがあった。生活面においていろいろ優遇措置が目立ってきているこのごろである。それをもってCO2排出量制限に対応していくという考えもあるのだろうが、生活上にゆとりがなければどれほど優遇を受けてもそこに足を踏み入れることはできはしない。近ごろの太陽光発電に対する動きは、それこそ「国民の常識でしょ」ごとき流れを作りだすかもしれない。ハイブリッドへの特別措置も同様で、期限付きの優遇に国民がなだれ込んでいるかのような動きである。しかしながら、そもそも期限付きというあたりが味噌で、先行き不透明な政治がらみの中では、目の先にぶら下がった餌に飛びつくしかないのも実情である。このごろは政策すべてが期限付きのように見えてきたりして、とりあえず早く飛びついた方が勝ちみたいな雰囲気がある。つまるところ生活に余裕のある人たちには得になるが、質素に暮らそうと考えていた人たちにとってはなんともやるせないことになっていく。我が家のように家族も少なく、先々も安定しない家庭にとっては、やれ太陽光発電だのハイブリッドだのという考えは当てはまらない。ようは使えるものは壊れるまで利用して、どれほど消費量が多くて非エコだろうが、それ以上にリスクのあるものに手を出していく状況ではない。我が家で採れる食材で、安定的な、そして最低限の暮らしをできれば良いと考えている者にはたいへん住みにくいことになってきている。消費をどんどんして、それでいてCO2排出量をセーブするという技術力で勝負しようとする日本人はたいしたものなのだろうが、その上向きの考え方にも限度が来ていると思うのだが、時代は人は、過去的視点には問題外の烙印を押すことになる。

 民主党は農業者の戸別所得補償制度を以前から唱えている。これもまた前倒しで導入すると言っており、これには1兆円が必要とされている。意外なのは子ども手当てよりずいぶんとその保障には金がかからないところだ。農家がどうとらえているか知らないが、現状の農家にとっては確実に助けになることだろう。ただし、農業が生き返るには及ばない施策であることは間違いない。1兆円で農業が生き延びれるのならここまで農業は低迷しなかったはず。天下りがなくなってもこの財源が埋まるはずもなく、岡田幹事長は盛んに事業廃止を訴えている。無駄があることは国民の誰もが承知のところであって、だからといってきれいさっぱりと明朗会計になっても財源が泡のごとく浮いてくることはないのである。きっとそこで強いられた人々が、また世の中に溢れかえって景気低迷は持続することになるのだろう。
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