Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ほぼ1年ぶりの長野

2009-07-29 21:17:36 | ひとから学ぶ

 仕事での久しぶりの長野行きである。いつ以来だろうと探ってみるが記憶がたどれない。1年ぶりくらいかもしれない。午後からの打合せでも結局はほぼ1日潰れることになる。ここが南信の人たちの負担であることは言うまでもないが、それを利用するのがまたこの地域の人たちのこころの余裕だと思いたい。まっしぐらに長野に着いて、まっしぐらに帰還するようなことをしていてもこころは労われない。そういう観点なら電車で向かえば良いのだが、大量の荷物を持っていて、電車で行くには重い(けして持っていけない重さではないが)。そこで「久しぶり」に輪をかけたような長距離の運転である。せっかく行くのだから午後いちという打合せの時間を想定して中条村経由で行くことにする。もちろん目当ては「つくし」のうどんを食べに行くのだ。長野暮らしをしていた際も主張で中条村に行くと、決まってここを訪れていたのだが、けっこう閉まっていて肩を落とすことも多かった。「営業中」であることを期待して出かけたわけであるが、当然ここへ立ち寄るには高速は豊科で降りる。時間に余裕を持って出発したから、高速上は80キロから90キロ程度のスピード。かつてならこんなスピードでは走らなかったが、年齢がそうさせる。このスピードだと抜かれるばかり。時おりわたしより低スピードの車が走っていて抜くが、その台数は数えるほど。高速道路を走るのも1年ぶりに近い。高速道路から犀川沿いの国道19号と景色が変わっただろうかとうかがったが、窓を流れていく景色にほとんと変化はない。大雨警報が大北地域に出ているということもあってか犀川は濁った水が満杯に近く流れている。ここに連なる東京電力のダムはどれもこれも放流中である。

  そして1年ぶりのつくしにたどり着くと「営業中」の札が目に入った。安堵の一瞬である。暖簾をくぐるといつものおばさんがいる。ラッキーなことにこの日はレジの横におやきが並んでいる。いつもおやきがあるというわけではない。ようはお土産に買って帰れるということ。うどんが美味しいことは以前にも触れたが、おやきも美味しい。めったにお土産など買って帰らないわたしには珍しく良い日なのだ。つくしの野菜うどんは、毎日具が異なる。いや、毎日なのかどうなのかは毎日訪れていないから定かではないが、時おり訪れれば必ず同じうどんが出てくるということはない。だからわたしには毎回具が違うという認識がある。

  暑い中熱いうどんを食べて足早に外に出る。以前訪れていた下長井地区に寄って行こうと道を登るが、いつもの道が通行止めである。迂回路は砂利道の細道。そして地区に入ってもう一方の道で長野市へ向かおうとすると、そちらも災害のため通行止めの様子。仕方なく引き返して砂利道を戻るが、これ一本がよそとをつなぐ道というのも心細い。とても大きな車は通れない。このムラも間もなく長野市に編入される。わたしにとっては最期の中条村だったかもしれない。

  さて帰り道は長野から今度は足早に高速に乗る。疲れるが往路よりはスピードを上げて走る。かつてならスピードを出していて抜いていく車はBMWやベンツだったが、この日わたしの記憶に残った車3台とも同一車、レクサスLSだった。金持ちは違うなーという印象を抱く瞬間なのだ。

 

 

 写真は中条村に隣接する信州新町山上条にある柳沢分校でこの日撮ったもの。石碑にある歴史によれば、歴史は明治6年に始まる。残念なことに廃校になった年が明確ではない。昭和30年に新町小学校柳沢分校になったところで記録は終わる。石碑が建てられたのが昭和55年で「閉校記念」とあるからこの年に閉校したのだろうか。当事使われていたと思われる椅子が、ゲートボール場の脇に並ぶあたり、かつてこの椅子を使っていたお年よりが今も利用しているのだろうか。

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