Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

終焉へのプロローグ

2009-07-10 12:24:04 | 農村環境
 「農家」の捉え方を先日した。農家といえるかどうか怪しいほどに「農家」という存在は明確ではなくなった。農外収入に依存する「家」が多くなるとともに、そもそも農家という存在はどういうものなのかという曖昧なものに変化した。もちろん農家たる基準はあるものの、それでは納得できないほどにそう呼ばれる家の生計は多様化したともいえる。生計のうち農業に依存している比率が高いという捉え方をすると、農家という存在は特に少なくなるのだろう。そして山間にいけばそのほとんどは高齢者の家ということになる。わたしも含めてふだんの生活を農外に求めている者にとっては、農業などというものはほとんど理解できていないのが実情であって、もっといえば農家という空間を知らずに生まれ育ち、そしてすでに子どもを育てている。都会の子どもたちが農業体験をすると同じくらいに地方の子どもたちも農業には触れていない。だからといって体験すればすべてよしというものでもない。このあたりでよく行なわれる中学生の職業体験ではないが、具体的な仕事を体験するだけでその仕事環境まで体験できたというわけではない。

 たやすく農家を、そして農村を体験するなどとは言えなくなった。生活と密着していた生業はその仕事だけ体験すれば終わりというものではない。生活のすべてが生業と絡んでいた。会社に神棚はあってもその神様に関連した行事はない。会社に仏壇もなければ墓地もない。ところが農業はそうしたもろもろのものすべてを包み込んで営まれてきた。

 高齢農家が農業から身を引いたとき、どれほどの後継者がふたたびこの世界に戻ってくるだろう。今危惧されているのは、農業を営んできた人たちの定年(定年というと定められた時期に引退するようにうかがえるが農業の場合は必ずしも定められた時期はない。これもまた生活と密着している生業のなせるものであって、おそらく死期が強まるころになるのだろう)後のことである。耕作放棄地解消に向けて国は施策を前面に出しているが、現在農業を営んでいる人たちの定年がこれから増えてくる。そのときにはもはや今の施策では補えない事態に陥ることになるだろう。

 わたしたちは民俗という視点で農業を中心に地域社会を捉えてきた。しかし、農業の消えつつある空間においてかつての暮らしは用をなすのだろうかというところまできているともいえる。すでに高齢者に聞き取りをしたところで農業を営んできた人は数少なくなりつつある。ましてや農業体験的なレベルで満足できる「農業」に陥っている以上、そこから暮らしまで連携されたものが見えにくくなっている。ようは民俗誌を開いたところで、現代人には骨董品にしか映らないのではないだろうか。さらにいけないのは農業ばかり書き綴ってきたことである。今やマチにおいても農村同様に定年を迎えるとともに消えるものが控えているように思う。高度成長とともに大きく変化を遂げてきた地方は、本当に終焉を迎え、新たなところに行き着くのか、それとも農地ではなく世間が荒廃していく姿をかろうじて最期まで耐えつづけるのかというところにきているのだろう。
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