Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

高校生専用列車の行く末

2009-07-02 12:27:46 | つぶやき
 高校の文化祭のシーズンになる。この地域では進学校から文化祭が始まる。かつては専門系の学校は秋に文化祭が行なわれていたものだが、今はほとんど夏休み前に行なわれる。伊那北高校が文化祭を終え、振り替え休日になったその日、たった一校のことでありながら車内はずいぶんと空いてしまう。駅に到着してもホームには夏休みかと思うほど待ち人はいない。電車内の風景というのは気にせずにいれば毎日それほど変化はないのだが、毎日を確実に捉えているとけっこう異なっているものなのだ。

 その日のわたしの乗車した車両には、いつになく大人の姿が見えた。ここしばらくはわたしが目的地の駅に降りてもわたしの乗車していた車両からは高校生しか降りてこない。そんなことを思った翌日意識して車内を見渡してみると、いつも顔を合わせる常連の大人が1人か2人いるがあとは高校生しか乗っていない。高校生専用車両のようなもので途中にある高校のために出入りがけっこうある車両である。以前にも述べたが高校生は知らない人が1人がけしているシートにはめったなことでは座らない。それが相向かいのボックスシートであってもだ。したがってこの車両はもっとも空いている車両ともいえる。あまり出入りがなく入ってくるだけの先頭車両からしだいに後方へ移動してきたのもそういう理由からである。ワンマン電車はともかくとして、そうでない車両なら下りは先頭ほど、上りは後方ほど混雑するというのが飯田線の上伊那区間なのである。これも以前に触れたが必ずしも改札に近い方に混雑度が高まるわけではないのである。それでも数年前のようにわたしが乗車すると乗客が1人とか2人、あるいは無人などということはなくなった。それは何を意味するかと考えると、高校生の郡境を越えての通学が多くなったこと、そして一般社会人の通学の電車利用がせ増えたということも言えるのだろう。日によっては無人ということもあった先頭車両は、今やわたしが乗る際にもそこそこの乗客の姿が見える。便全体の乗客数に変動があるのかないのかはその当時の後方車両の状況まで意識していなかったため定かではないが、一つ言えることは、高校生のパターン変化がうかがえる。ようは数年前のわたしの乗る駅で降りる高校生は、学校に近い側の先頭車両に多く乗車していて、今は逆に学校からはもっとも遠い後方車両に多く乗車している傾向がある。わたしが乗車したときに1人か2人という状況は、今の後方車両であって、かつてはそれが前方車両だったのである大勢の同一高校の生徒が乗車する車両にほかの人たちが乗らない傾向というものがある。その証拠に今のわたしが乗車する車両は、家の近くにある高校の専用列車のごとく彼らが、彼女らが降車すると空っぽの風景になる。越郡して通う高校生の姿は、その車両には少ない。すべてが一校の生徒で占有された空間に、他人が入っていくのもしんどいものである。もちろん高校生というだけで同じ高校だと認識していればのことであるが。

 今や進学校の定数はそのまま、そして不人気校の定数は削られる。いずれ高校の生徒はさらに減っていく。この空間の状況はどんどん空気の量を増やしていくのだろう。そう考えると、かつて満員で体が触れるような状態で立ち尽くして乗っていた高校時代の景色は遠いものである。とくに越郡して通っていただけに、当然郡境域では空っぽになりそうな状況に陥ったものであるが、懐かしむ術もないほど時は経ているということなのだう。たまたま今は、かつては乗ることはなかった中学生が郡境域を賑わしている。定員が削減されていない高校が休めば、これほどその高校の生徒がいたんだと気がつかされる。まさに高校生専用列車の満ち欠けのようなものなのだ。
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