Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

廃村をゆく人⑧

2008-04-09 12:34:58 | 農村環境
「廃村をゆく人⑦」より

 ここまで2回、小谷村葛草連について触れてきた。つらい暮らしを払拭しようと行われた大念仏。それをまた司祭する人々。科学的な現代においては不合理にも映ることを、かつての暮らしでは支えにしてきた。しかし、地すべり地帯ということもあって、姿を消してしまったムラ。地すべりのことを「ヌケ」というこの地域で、ヌケドメということを言う。草連を「ぞうれ」というが、こうした地名には地すべりがつきものである。わたしの住む町の山間地にも「長ぞうれ」という地名があるが、まさに地すべり地域である。葛草連ほどの地すべり地帯ではないが、湧水があって、急峻な地形の背景で、人目をはばかるように地すべりが進んでいる様子を見た覚えもある。

 わたしが初めて地すべりの信仰を知ったのは、この葛草連のある小谷村の『小谷民俗誌』であった。そこには次のように記述されている。


 小谷の地は地辷りの被害が多い。春の雪解けの頃から梅雨の頃にかけて、傾斜地で地盤の弱い所には、亀裂を生じ易い。これに雨水がしみ込んで地すべりを起こす。
 このぬけ止めには昔から、戸隠神社へお参りに行きぬけ止めの祈祷をお願いする習慣がある。亀裂の生じた場所が、多くの人に被害を及ぼす場合とか共有地であれば仲間が相談して代表が戸隠まで代参に出かける。昔は徒歩で白馬村森上から、柳沢峠を越えて鬼無里村を通り、戸隠まで一日の強行程で歩いた。
 戸隠の坊で一泊して祈祷をお願し、お札と杭を二本とか四本とかを受けて帰り、ムラ人とお祭りをして、ぬけ止めの杭を亀裂の入っている要所に打ち込む、こうした信仰が、村人等に、伝えられれている。


 昔から地すべりに少しばかり携わってきた者としては、地すべりが祈祷で治まるという印象はない。しかし、雪解けとともにやってくる地すべりの兆候、そしてムラさえ無くしてしまいそうな大きな土地の変動を、どうすることもできなかったに違いない。とすれば、神頼みくらいしか方法はなかっただろう。地すべりの場合は、少しばかりの崩落とはわけが違う。現代ならともかく、かつてはその自然のなすままに、住処を変えるしか方法はなかったはずである。そんな常襲地にあったからこそ、ぬけ止めの信仰が生まれたのだろう。

 さて、小谷村というと、同じころに小土山というところのショウキ様を訪れたこともあった。当時暮らしている家は二戸ほどだけになっていたが、今そのムラはどうしただろうか、などと思ったりする。そうしたムラがあちこちにある小谷村であった。雪深い地域には、どうしても地すべりがつきものである。苦しい暮らしであるが、いっぽうで、恵みがたくさんあったからそこに暮らした人々もいる。HEYANEKOさんがそんな小谷村の廃村を記憶を呼び起こしてくれた。
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