Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ささえあう

2008-04-06 12:52:51 | ひとから学ぶ
 人は支える人がいるからこそ、日々の暮らしが続くような気がする。その支える人とは誰なのかといえば「家族」ということになるだろう。もちろん家族以外にも支えるべく人がそれぞれにいるのだとは思うが、ふつうに考えれば、そして多くの人がその答えを「家族」と回答するだろう。子どもたちにとっては、そんな支えがあるからこそ成長し、また「支える」という意味や「家族」というものを理解していくはずなのであるが、それをきっちりと教えたとしても、そう簡単なわけにはいかない。年ごろともなれば「反抗」という変貌を遂げ、しいては「家族」という制約に苛まれて逃亡したくなることもあるだろう。そんな悶々とした生活をクリアーして子どもとしての人生、そして親とは何かを理解していくものだと自らの経験からも認識してきた。

 今では生家を忙しさのあまり訪れることもない自らを振り返り、「親不孝」と言う文字が浮かぶ。年老いた父や母を思いながらも、自らにとって支えるべく人たちであることに違いはない。にもかかわらず、現実の日常は、切迫してくる。「こんなものさ」と思うか「これではだめ」と思うかはそれぞれであるが、かつてより親子が密着した時代にもかかわらず、成長後の親子はどうだろう、などと考えもする。かつてなら、嫁いだ娘が実家に帰ることができるのは1年に限られた日だけであった。そして、嫁いだ先の親を看取るのが嫁の役割でもあった。それは裏を返せば、嫁ぎ先の親が嫁いだ後の親であることであり、その親を親として一生を暮らしていくという宣言でもあった。そうした時代にくらべれば、この時代の子どもたちは、産みの親との密接な関係をどこまでも続けていくことになった。それを自立しない親子という見方ができるかもしれないが、実は少子化とともに、嫁に行こうが行くまいが、産みの親を看取らなくてはならない現実がそこに生まれているわけである。

 いっぽう、親子が密接になりながら、男たちは結婚すると生家を見放してしまうという現象も多い。家族というものは継続していくからこそ、「支える」から「支えあう」という形になる。それぞれが年相応にその役割を変えていくのである。そういう意味では、この時代の子どもたちは、この形を認識していないのではないか、というような事件を起す。いや、子どもたちだけではない、親も同じである。ようは「支えあう」という認識がないからこそ、そういう現象を起す。どれほど反抗という不安定な時代を過ごそうと、いずれその真意が理解できるような構造がそこにはないともいえる。そうした余裕が家族の暮らしにないことも、そしてそれを許容する社会もない。きっちりと決められた暮らしの中で、そうした流れをいとも簡単に理解して、停止することもなく成長し続ける子どもたちもたくさんいるが、果たしてそれは正常なのかと疑問を持つ。

 支えあうという現実を面倒だと思ってしまえば、すでにそこにその構造はない。そしてそれを求めているこの社会からは、それを理解できる子どもたちが減少を続け、いずれ家族とは何のためにあるのか、その定義は変化を遂げるのである。人と人というかかわりの中での学習能力の著しい低下を招くことになるのだろう。
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