Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

労働力という商品

2008-04-21 12:19:29 | ひとから学ぶ
 再び内山節氏の「風土と哲学」シリーズから貨幣の精神史(信濃毎日新聞4/19朝刊)である。「昔の貨幣経済は貨幣を使う主人は人間だというかたちを保っていた。そして貨幣を使うのし人間だというかたちが維持されているかぎり、人間たちの考え方に貨幣の使用は従属した。いわば商人道徳とか、商家の家訓といったものが、貨幣の使用法を規定したのである。何よりも商人としての信用を大事にし、貨幣を増やすことだけに専念したりはしなかった」と内山氏はいう。かつてと現代を比較して大きな違いは、「人間が労働力という商品」になっていなかったのがかつてであるという。「丁稚は奉公の数年間は基本的に無給で働いていたから、一見するとひどい搾取のようにみえる。ところが彼らは年季明けのときには、独立することが約束されていたのである。しかも商家の主人は年季あけまでに一人前に育てなければいけなかったし、独立のために必要な費用もすべて主人の負担だった。(中略)すなわち人間を労働力として扱うのではなく、将来の独立を前提として仕事を教えながら、店のためにも働いてもらった。労働力として安くパートを集めるといった今日の雇用とは、まるで性格が違う」といい、流通の世界が人間を労働力とみなしてから健全さがなくなったと解く。

 なぜ労働力という商品になったかと問えば、グローバル化と一口にまとめられるかもしれない。無神経にも伝統的な社会にも土足で入ってきた現代の貨幣経済は、労働力をそうした価値で見なければ競争できなかったわけだ。それは現代がそうさせたのではなく、人間がそうさせてきた。理想郷とはそんな「かたち」だと思ったからこそ、コストダウンのために、自らの労働を商品化したわけである。簡単に言えば、自ら招いたことということになるが、それを解ったところで、現代の病はふっきれない。

 さて、かつての商家の丁稚の話を聞いていると、似たものが浮かぶ。わたしの住む地域の近くには、かつて親方被官というものがあった。簡単に言えば親方は地主、被官はその小作人ということになるだろうが、実は簡単ではない。戦国時代でいう親方様と同様の親方であり、親方様の奥方は御方様となる。被官は従属した家来だったわけである。それが百姓になってからも関係が継続されたのである。戸籍上でいけば一人前でない者が被官になるわけで、簡単に言えば子どもたちのようなものである。先の丁稚は年季明けで一人前になるが、こちらには年季明けがない。もちろん一生抜けられないわけではなく、足抜けのために金を用意すればそれも可能だった。この親方被官については、だれも良い風習とは言わなかった。抜けることはできないが、丁稚同様に親方は被官の面倒をみてくれた。時代劇に登場する悪代官や悪奉行のように、悪い親方もいただろうが、必ずしもみなそうであったわけではない。福澤昭司氏はある親方被官のことについてこんなことをいった。「地主に比べれば小作の人々がどれだけ苦労したかは計り知れない。しかし、地主には地主の苦労もあった」と。ようは、小作料だけではなく、墓掃除から自らの農業の働き手として被官に課したとしても、そうした被官たちを責任を持って暮らさせる必要があった。小作勘定をしたとしても借金がたまると、悉皆勘定にしてあげることもあったという。被官のための全責任を負っていたわけである。
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