Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

二十世紀梨

2008-04-24 12:23:48 | 農村環境


 梨の花が盛んに咲いている。伊那谷での二十世紀梨の発祥の地は上伊那郡飯島町本郷である。今は看板がなくなってしまったが、かつては飯田線の伊那本郷駅に「伊那谷二十世紀梨発祥の地」という案内があった。この地での梨の栽培は、大正15年に始まる。桃沢匡勝が考案した盃状棚仕立法というものが全国各地の梨栽培に影響を与えたという。そういえば、わたしの分校時代、皇太子(現天皇)が桃沢家の梨を見学に来られた際に、分校で旗を振った覚えがある。

 その二十世紀梨は、後に下伊那郡松川町に主生産地を譲ったが、それは当然の成り行きであった。ようはこの本郷という地を境にして、北は水田地帯、南は畑地帯に変化する。ようはこの地より南はかつての養蚕の盛んな地域と整合するわけであるが、養蚕後の農家の換金作物として果樹が大きな存在となる。畑地帯であるがために用水に乏しい。となれば、畑作物で農業経営をしなくてはならないわけで、そのひとつとして果樹が盛んになっていった。そんな果樹農家も今や減少を続ける。水田農業以上にその衰退は早いと言われるほどである。米作りなら次世代でも、あるいは担い手農家に任しても継続可能であるが、果樹にいたっては、次世代への継続率は極めて低い。加えて果樹農家の担い手も極めて少ない。そうした流れを現す傾向として、かつて二十世紀の主生産地であった松川町も、今やリンゴの生産が主となっている(H18 リンゴ268ha、日本梨166ha)。もちろん二十世紀梨のニーズが低下したという事実もあるが、それだけではない。手のかかる二十世紀梨の栽培から撤退しているわけである。わたしは果樹園地帯に暮らしているが、おすそ分けして頂く果物は、今はリンゴばかりである。かつては梨をいただくことも多かったが、梨が貴重なものになっている証拠である。もちろん梨よりもリンゴの方が長持ちをするということもあるが、本当に二十世紀梨ともなると、口にすることがなくなった。いかに生産量が減少しているかは、そんなところからもはっきりしている。

 さて、その伊那本郷駅の西側には段丘があり、その段丘崖一面に二十世紀梨園が広がる。駅のホームが高い位置にあるため、ホームから眺めればみごとな梨の花が目に入る。これは電車に乗っていても見える光景であるが、ホームに立てば展開は大きい。ここの風景は、よく本にも紹介されるものであるが、わたしがここに立った折にも、湘南ナンバーの車が駅前にあった。写真を撮りにきたかどうかは定かではないが、こんな目立たない駅によその車がやってくるなんていうことは滅多にない。写真の背景は飯島らしい南駒ケ岳。おそらく飯島を代表する景色の一つであることに間違いない。ちなみにちょうど梨の花付け作業をしていた。はっきりとは解らないだろうが、画面には3人ほどおばさんたちが花の向こう側で作業をしている。いつまでもここの二十世紀梨が続けられるとよいが…。もうわたしはこの光景を40年ほど前から見ている。

 撮影 2008.4.22
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