Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「休みたいなら辞めろ」発言から

2008-04-28 12:22:24 | ひとから学ぶ
 「休みたいなら辞めればよい」と発言したとされる日本電産の永守重信社長を強く批判したのは連合の高木会長である。批判したことが話題になっていて、発言もとの永守社長が正確にはどう言ったのかはあまり詳細にされていない(4月23日の記者会見で「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と言ったらしい )。したがってわたしも表面的な話題になっていることについて述べることになる。

 ご存知の通り、今や組合が組合として成立しないところが多い。組合員比率も低調なら、組織そのものも弱体化する。かつてのように組合組織が社会党を応援した時代とは大きく変化し、その証拠に社会党も近いうちには消えてしまうだろう。ということで、組合依存時代は終わったわけであり、高木会長の言うような労働者視点に立った意見には、必ず反論もあるだろう。一般論とすれば、永守発言は批判されるものなのだろうが、現実的にはそれに近い就労環境にある人たちも多くて、共感する人もそこそこいるのだろう。だからこそ〝「休みたいなら辞めろ」発言は暴論?正論?〟などという議論になる。暴論も正論もない。基本的には正論とは言えない。大会社の社長としての発言としてはレベルが違うのではないか、と言う印象がある。ただし、日本電産といえば、合併しても人員整理をせずに会社を継続させていることでよく知られている。そうした実績の上にたった正論とも捉えられなくもない。

 この社会の疲弊は著しい。例えば今回の高木会長の批判に対して、舛添厚労相は、直後の来賓あいさつで「労働関係法令はきちんと遵守してもらわないといけない。きちんと調査し、指導すべきは指導し、法律にもとるものがあれば厳正に処分する」と言ったらしいが、すでに行政はこうした労働環境に対して無視しているといわざるをえない。かろうじて非正規雇用に対しての対策を口にしてはいるものの、労働基準法などというものはなんのその、というくらいに現実は厳しい。だからこそ、連合というものへの期待もなければ、まずそことのつながりすらない人たちがたくさんいる。高木会長の発言も適正なら、永守氏の発言も日本電産という会社の方針に沿えば正論なのだろう。それぞれが分離した個の世界を作ってしまった以上、正論が適正とは言えなくなってしまっている。それを作り上げたのも、やはりそことはなんら関係のないお役人なのだろう。

 情けない現状といえば、そうした議論に登場してくる、「この発言の何がいけないんでしょう?実際中小企業はこういう気持ちで一致団結してやってなければつぶれますよ。この発言を批判できる人間は公務員かあるいは庶民の生活を知らないゴールデンウィークには高い金払って海外旅行にいける大企業の人間だけですよ」(Yahoo!コメント)というようなもので、働かなければ価値はないみたいな異見や、隣を見ては妬むタイプの発言である。いろいろな価値観があっていいはずだし、またそれを実践する人たちも多い。そうした多様化した時代にありながら、どうも人間の価値指標はむしろかつて以上に画一化しているのではないかということである。だからこそ、「格差」というものが表面化してくる。ここをクリアーしない限り、この国はますます疲弊すること確実である。
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