Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

現代道祖神建立の背景

2008-04-18 12:36:24 | 民俗学
 窪田雅之氏が「現代道祖神碑事情」というものを『信濃』の1月号に書いている。新たに建立される神々をどうとらえるか、という副題のもと、戦後に建立された道祖神について触れている。道祖神のメッカともいわれる安曇野を中心に、道祖神信仰について調査研究されてきた窪田氏は、今まで戦前までに建立されたものと、その後に建立されたものについて一線を画して扱ってきたという。そうしたなか、あらためてちまたに建立される現代の道祖神について、触れずにはいられないほどおびただしくなってきた事情がある。窪田氏は現在建立されている道祖神について、その理由について三点とりあげている。①まちづくりなどの像徴ー松本市浅間温泉・同大手今町通り商店街などの事例、②モニュメント―旧豊科町長野自動車道豊科インターチェンジ・旧梓川村村政40周年記念などの事例、③本来の性格を継承する―松本市芳川の結婚式場・豊科警察署などの事例をあげているが、それと同時に「このような捉え方に疑問を感じていた」という。道祖神そのものが多様な信仰を背景に持ち、それは現代に限らず、戦前までに建てられたものも、信仰が多様であったことによる。もちろん一般的に言われる道の神とか防ぎの神というものもあるだろうし、縁結びの神という所在からの五穀豊穣を意図するものも強い。しかし、なかなか統一したその神容は語れない。窪田氏も同様にそれを感じていて、現代の道祖神建立の意図も、まさに多様であると述べている。

 窪田氏は旧松本市域の昭和後期以降の道祖神建立数を75基と数えている。江戸時代から昭和前期までのもの332基を数え、総数407基のうち、18パーセントを昭和後期以降のものが占める。そして平成になってからのものが40基あり、かつてもっとも盛んに建てられた時代である文化文政時代の建立数41基と並ぶのである。いかに現在の道祖神建立数が多いかを示す。それらの中には、町の広がりというものもあり、より所としての道祖神建立というケースもある。人の心を集める対象物として「道祖神」は象徴的なものとなりうるわけだ。信仰の多様化という歴史上の経過も踏まえると、昔も今もオールラウンドに人々に受け入れられてきた信仰対象といえるのである。いや、今では神しての存在だけにあらず、モニュメント的要素で造られるものも少なくない。窪田氏は文末でこうまとめている。「新たに建立される神々を、変容するドウソジンという神の性格と考え合わせ、従来のように一線を画してとらえることを再考する必要があるのではないか」と。道祖神の信仰の多様性をみるにつけ、いつの時代においても人気のあった道祖神を想像できる。現代における建立背景が果たして伝承というものを持ち合わせているものばかりではないが、建立背景に現代人の心のありようのようなものが見えるわけで、あながち現代の道祖神を別扱いにしてその信仰を捉えるばかりではこの時代へのアプローチができないのかもしれない。そういう意味でも、道祖神に限らず、現代の造塔という背景も含めて興味深いものなのかもしれない。

 窪田氏は、長野県内における昭和後期以降の道祖神建立数を一覧としてあげている。それによると、総数221基のうち中信地域で171基を数え、他の地域に比較すると圧倒的に多いことがわかる。しかし、他地域の情報が少ないためにそうした圧倒的な偏りを見出しているが、実は昭和後期以降に建立されたものはもっと多いと推定する。それは道を走っていて、ま新しい道祖神が目立つからである。そんな現代の道祖神について、今後少し触れてみたい。

 続く
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