Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

事件「聖火リレー」から

2008-04-27 09:50:23 | 歴史から学ぶ
 おおかたの報道は「無事に終了」というほっとしたものでくくられる。4/26に長野市で行なわれた聖火リレー、もともと開催国以外で聖火リレーが行なわれるのは二度目のこと。意外にこんなこともあまり認識していない。かつて長野オリンピックの際には、和やかな聖火リレーだったというものの、それは自国内でのイベントだから、国内に火種さえなければそれが普通のことだろう。それが中国という特殊事情の国が、五大陸で火をつなぐというイベントをするからこういうことも起きる。チベット問題がなくとも、少なからず二つの中国が現存する事情からいけば、抗議をする人がいても不思議ではないだろう。

 嵐が去った長野市内には、捨てられた痕跡(報道されないたくさんの事件)がたくさん残ったに違いないが、そんなことはこうしたイベントにはつきもの程度に、忘れ去られる事柄なのだろう(小さな事件で人は後々まで思い馳せることもあるが)。いっぽうで聖火リレーというどうでもよい背景にも、さまざまな事情があって、それを全世界に知らしめた今回のオリンピックイベントは、中国にとっては気持ちのよいものではなかっただろう。中国から送られてくるたくさんの国旗を、あれほど中国人がいるんだと思わせるに十分なほど目立たせた。地方の長野にまでこんなに多くの中国人が結集して、アピールしたことがすべてストーリー立てされたものであると気がつくと、「なるほど」と納得して傍目で感心するのがわれわれ日本人であった。関連ブログをのぞいてみても、盛んに「中国の旗ばかり」という感想が聞こえる。中国にはやまほどの問題があるんだと全世界に知らしめてしまって、それで持ってオリンピックを迎えるとなると、世界の今回のオリンピックの注目度は高い。それはスポーツということだけではなく、中国という国に対してもである。五大陸をつないだことにより、少しそんな面が目立ってしまったことは、中国の立場としていかがなものだったのだろう。そんなことを思わせる聖火リレー事件であった。

 長野聖火リレーについて「市民不在」とか「平和の祭典に不似合い」とか言うが、もともとオリンピックというものがどういうものか考えてみれば、必ずしもその言葉に適切な回答見出すことはできない。こんな問題になっていなければ、中国国旗が目立つ映像ではなく、スポンサー名が氾濫する映像になっていたはずである。直前に聖火リレーのスポンサー契約を行なわないという報道もあったように、市民ばかりではなくスポンサーさえ映像から消えていった。そのいっぽうで事件性があったからこそ、たかが聖火リレーの映像が注目された。聖火リレーの視聴率は高かったのではないだろうか。そういう意味では「中国」というスポンサーは大きくクローズアップされた。「中国の旗ばかり」という感想は、それ以外の「市民」というスポンサーも「企業」というスポンサーも撤退したからこそ現れた現実だったのである。

 競泳の選手団は40人近いというが、メダルの期待はかなり少ないという。加えて記録を向上させるというスピード社製の水着は、契約上から日本選手には利用できないという。「平等ではないじゃないか」というが、もともとオリンピックに限らずプロ化したスポーツ界にあって、金のあるものとないものでは差が出る。オリンピックそのものが「国の力」という背景の一つとして、経済力が大きくものを言うとともに、お国柄というものも影響する。もともとが横一線ではないのである。そんな背景を知ると、興味が薄れてしまうが、実は一喜一憂するものの、現実はそんなところに立っているということも忘れてはならない。
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