Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

雨の中の獅子舞

2008-04-14 12:29:46 | ひとから学ぶ
■大島山瑠璃寺獅子舞




 上伊那南部でも桜が散り始めている。4/13午後1:30に始まります、とご案内いただいた「牛牧の獅子舞」。ご案内いただいたからには行かなくては、と昨年同様に大島山瑠璃寺の獅子舞を訪れた後に立ち寄った。昨年とは違い、瑠璃寺の獅子舞が完全に終了していないうちに足早に訪れると、すでに牛牧の獅子舞も最後の場面である。毎年必ずしも定時でないことがよく解る。

 さて、この日は薄日の差す暖かな日であった。しだいに雲が厚くはなってきていたが、雨はまだだろうと思っていると、午後2時を過ぎるとすでに雨粒が窓にあたる。「持つだろう」と思い瑠璃寺の境内に下りるが、それほどすぐに雨が降ってくるという様子ではない。道中を練る獅子舞は、さすがに著名なだけに大勢の人だかりである。なによりカメラマンの多さ。獅子を導く宇天王が前進するたびに、その前を囲むカメラマンが後ずさりしていく。とても滑稽な風景であるが、こうした風景は珍しいことではない。しかし、桜が満開というシチュエーションは、よりカメラマンの餌食になることはまちがいない。それは解っていてもそんな大勢のお尻を見ながら獅子舞を見学する側も、あまり楽しいものではない。

 ところが薬師堂の前庭にたどり着くと雨が降り出す。それも小雨というよりは本格的に変わる。しだいに周囲を囲んでいたカメラマンは飛び散るように消えていく。雨を逃れるという意味もあるだろうが、すでに雨が降り出した場面は写真の対象からはずれるのである。もちろんどんな場面にも写真にならない場面はないだろうが、イメージしてきた写真の景色はそこにはないのである。カメラマンなんてそんなものである。それでも撮影を続ける人は、また違った意図をもっているのだろう。雨が降り出すとともに、桜の花びらを叩き、それらを散らせる。桜吹雪に歓声が上がるほどであった。そんな景色はそうはないだろうが、なかなか写真には写しきれない。20年近く前に出版された本を帰ってから見てみると、そのころは参道に桜の花も木も目立っていない。それにくらべるとずいぶんと伸びた桜が、見事に獅子舞を演出しているが、なかなか花と祭日が一致するとは限らない。

■牛牧獅子舞


 散り始めたカメラマンをよそ目に、牛牧へ向かうが、雨脚は強い。すでに前庭に入った獅子は、眠りについていた。宇天王が起しの所作を繰り返す。牛牧のものは一舞いの所作が瑠璃寺のものより長い。伝統という意味では瑠璃寺のものが著名であり、この地域の代表的な獅子舞と言われるが、舞そのものは牛牧のものの方が芸術性が高いだろう。プロの世界なら古いだけでは評価されないが、地方芸能では古さがものをいう。両者を見ているとそんなことを意識させられる。牛牧もまた雨のためか、見物人は遠巻きである。瑠璃寺のものより大きめな獅子頭が目を覚まし雨脚の弱まった庭を左右に激しく舞い、再び宇天王に治められて舞い納めとなる。
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