Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

お金の価値

2008-04-15 12:35:03 | ひとから学ぶ
 内山節氏が信濃毎日新聞の連載(「風土と哲学」68)で、貨幣についてこんなことを述べている。「お祭りの日には母から五十円をもらって神社に行った。目当ては神社の境内にならぶ露店である。子どもの頃は誰もがそうであるように、慎重に店をみて歩き、ひとつ、またひとつと決断していく。五十円というお金には、使い切るのにずいぶん長い時間が必要になるだけの価値があった」という。おとなにとってわずかな金でも、子どもにとって価値は大きなものだったというかつての祭りでの意味深い思いである。もちろん1960年ころと言っているから、50円といってもそんなに小さな金額ではなかっただろう。欲しい物はたくさんあっても、その中から何を選択していくかということが、時間を要すことになる。そして選択したものをあとから悔やむこともあるだろうが、悔やんでもけしてそれを粗末にはしない。選択したという思いいれがあるのだ。そんな子どものころの思いは、十分にわたしにもある。あまりお小遣いをもらって、露店で迷うという経験はなかったが、少しばかりその記憶はある。むしろわたしの場合は祭りよりも、欲しいものを買いたいといってなんとか手にしたお金で、どう選択するかという迷いは、露店での品物を物色するのと同様であった。そして、その選択に間違いがあったこともあるが、それを間違いだと自分では認めたくなかったものである。選択したからには、その間違いも自分で消化したいのだ。それほどお金というものが尊かった。無駄銭を使ったなどとけして思いたくなかったのだ。

 内山氏は「お金は主人公ではなく、お金を用いる人間が主人公だという一面を、伝統社会は保持してきたのである。そのことによって、普遍的な交換財にすぎないというお金の一面と、しかしそれを使うのは人間だという面との調整がはかられてきた」が、個人の社会が展開するようになって、お金を使用する際に他者との関係を薄め、個人の所有物にになっていったという。お金に振り回される、従属した生活舞台が、毎日毎日やってくるのである。

 先ごろ、梨の花付けの準備に追われている大正生まれの方に道端で声をかけた。うさんくさくも思わず、いろいろと話をしてくださったが、その中で「アメリカ的貨幣価値」ということを口にされた。身の程をわきまえず、金の亡者となるこの国の流れが、暮らしにくい世の中を作ったという。わたしもその通りだと思ういっぽうで、しかし日々そこに惑わされている自分もいる。きっとその方は、戦争という苦しみの時代を経験したものの、自らの信念で人生を歩まれてきたからこそ言える言葉なのかもしれない。多くの人がどこかでそれを理解できても、すでにほとんどの人が「それでは生きて行けない」と思い込んでいる。しかし違うのである。内山氏が言う。「子どもがお祭りに行くときにポケットに入れた五十円は、夢をふくらませるのに十分な金額であったように。あるいは孫からもらったお小使いには、その金額をこえた価値があったように」その価値は主人公であるそれぞれの人にある価値なのである。「お金は使うもの」ではなく、使わなくとも生きることのできる日々を過ごしたいものである。



○外出するようになると、たくさん写真を撮る。先日までとはまったく違う。加えて花の季節。画像にはこと欠かない。ということで、杖突峠道の近くで、ネギを植えているお年寄りの二人を捉えた。
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