Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

行動から読み取る

2008-01-30 19:30:24 | ひとから学ぶ
 駅へ向かう道端で、雪をかく人に何人か会う。すでに通勤時ともなれば、みな通勤に向かっている人が多いはずだから、それほど多い人数ではない。積もった雪は2センチか3センチと少ないから、わが家ではこの程度の雪はかかない。昔ならほうきではく程度の雪なんだろうが、湿った雪だと掃くにはつらいから雪かきとなる。先日降った雪は10センチ以上あったから、この積雪だとかくのが普通である。その後も寒さが続いたから、かかずにおかれている畑の雪はまだ4、5センチは残っていた。息子の通っている高校ではその際の雪がかかれていないという。そのまま凍っているから、とても滑りやすいという。グランドはみごとに雪は消えているが、校庭のまわりはそのままだという。いったい誰が雪をかくのか、ということになるが、小学校や中学校は教員が主導的に担っているはずだ。ところが高校の場合どうなんだろう、などと考えるが、基本的に職場の周囲に雪があれば、そこで働く人たちがかくのは当たり前だとは思うのだが、施設が広いからそれなら子どもたちも使って雪をかくのが普通ではないだろうか。

 ツルツルになった玄関先、そこを通っても不思議にも思わず行き交う人々。高校とはそんなところなのだろう。ちょっとしたことなのだが、伝承的基礎知識とでもいったらよいのだろうか、常識が認識されない世界が目立つ。昨日電車に相席していた年配の男性は、車内で飲んでいたお茶のボトルを降車時に自ら持って降りた。そこへゆくと、高校生が降車した座席に座ろうとするとゴミがそのままになっていることはごく当たり前である。まずここに現れる意識、「金を払って乗っているのだから、ゴミは運行している会社が処理すればよい」というものである。そこまで意識してゴミを置き去りにしていくのか定かではないが、鉄道側も「ゴミはお持ち帰りください」とは言わないし、そうした放送を聞いたこともない。夜間の電車内、乗客が少なくなると車掌がビニール袋を持ってゴミ処理を始める。さすがに乗客がそこそこいるときは、ゴミなのかそうでないのか判断が難しいから、そうした行為にはでない。ちまたに安易にゴミを放り投げる人は少なくなったが、そこに介在する意識は「カネをはらっている」というもののように思えてならない。事例としては、雪かきの話しとはだいぶ異なるものの、記録される継承とはとても思えない部分、やはり伝承的継承と言えるだろうか、それが実現されていないことが見える。

 それは言葉による伝承だけにあらず、しぐさ、行動といったものによる伝承というものもある。そういう意味では、伝承する側に行動がなくなったとも言えるだろうし、行動から読み取るという術もなくなったと捉えられるだろう。数値で語ることはできないが、印象として、人の行動を観察することをしなくなった若い世代が多い。解らないことは聞く、しかしそれ以外の時はほとんど他の人の様子は意に介せずといった人種である。

 さて冒頭の雪かきは、行動から読み取る以前の問題で、伝承する側にすでに伝承されていない事項ということになる。
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