Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

伝承では歴史を覆せない

2008-01-08 12:23:07 | 民俗学
 上野千鶴子氏が信濃毎日新聞12/17月曜評論に記した「教科書検定怒る沖縄人」を呼んでいてこんなことを考えた。明確な軍の関与を示すものはないというが、歴史学者の視点でゆけば、わたしたちが関わっている民俗学と大きく異なる部分がそこにあるのかもしれない。わたしたちは、伝承という口述から人々の暮らしを見出しているが、歴史はあくまでも文書上の記述が第一の証拠となる。わたしたちのように「誰かが言った」などという曖昧な証拠は、歴史の世界では通用しない、と言われればその通りで、歴史学という分野を正確に捉えてゆくと、「自決しろ」という命令の文書が無い以上は、軍が集団自決を求めたとは言えないのかもしれない。もしあったとしても、これは文書を消してしまえば証にはならない。歴史が有力者の上に成り立っているという事実をみれば、政治でどうにでもなるということにもなる。しかし、議論になっている「関与」という言葉に立ってみれば、けして文書はなくとも「関与」はあったのではないか、と捉えれば曖昧な言葉になるから否定できないはずである。このあたりが歴史の世界では意見の分かれるところ、ということになるのだろう。歴史の教科書だからその証拠が大事であるといわれれば、その通りとなる。

 ここで沖縄の人々の精神的な部分は、果たして「歴史」という証拠を掲げなくてはならないようなものではないはずである。このあたりをどう国が考えるか、という部分なのだろう。割り切った形で歴史は「歴史」、しかし、関与したことは確かだからそのことは認める、という具合ならまだ気持ちは晴れるのだろうが、国はいつまでたっても明確なことは言わない、その背景には、やはり「歴史」という証拠の上に立てば回避できる、という意図があるように思えてならない。

 さて、上野氏は沖縄の人々が本土復帰にあたって、さまざまな思いがあったことに触れている。「アメリカの属領」か「日本の捨石」かという二者択一ではなく、第三の道としての「独立」を主張する人々もいたという。そうした反復帰の思想は、復帰第二世代の新しい声、新しい表現を獲得しつつあるともいう。その一人である野村浩也氏の言葉を紹介し、「〝沖縄大好き〟という内地からの観光客に向かってこう言い放つ。〝そんなに好きなら、基地も持って帰って〟」という言葉を取り上げている。この言葉からみえてくるのは、内地人とは違う沖縄人であるという強い意識である。これは戦争後の踏み台になってきた人々の強い心だろう。

 こんな例えをすればそれこそ沖縄の人々に叱られるかもしれないが、わたしにしてみれば、廃れた地方に都会からやってくる観光客に、同じような言葉をかけたくなるときがある。しかし、踏み台にされた、という意識がこの地の人々にないから(そこが戦争という大きな傷と、地域が蝕まれたという痛手の違い)、沖縄と本土の関係とは異なる。それだけにわたしたちは騙されている、利用されているということに気がつかないかもしれない。どこか似ていると思うが、たとえが悪いと言われれば、謝るしかない。

 民俗学のように噂話すら伝承として陽の当たる場所に登場する学問が、なんらお国にとって力がないものだと良く解る。証明できる明確なものがないような捉え方は、簡単に退けることができる。それを思うと、人々にとって魅力はあっても、金の生る木には絶対ならないから相手にされない。もちろん歴史の上を綱渡りしている人たちも、頼ることは怖くてできない、ということになりはしないだろうか。
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