Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

三流意識

2008-01-13 10:56:55 | ひとから学ぶ
 TBSサンデーモーニング「風をよむ―ニッポンの評価」において、2008年頭において、ニッポンの数値的世界の位置を示して街角でのインタビュー、そしてレギュラー人のコメントをもらっていた。意図は日本の現状をみると、落ち込みに歯止めがかからない状況である、というようなことを示したかったのだろう。そして、その回答は国民が示さなければならないというメッセージなんだろう。この番組のコンセプトは、2時間にわたりスポーツを取り上げる約30分間は別としても、残りの部分は、すべて課題を提示して国民自らが考えてもらおう、そんな意図が見える番組である。国民に振っているから、意外と強烈なインパクトは与えない。報道ステーションの古館や、ニュース23の筑紫など、夜間に放映されている報道番組のキャスターの言動や、同じ日曜日ならサンデープロジェクト、あるいは報道特集のようなインパクトを与えようとする報道とは少し異なる。この番組が報道番組ではなくワイドショーである、という位置づけにもよるのだろうが、コメンテーターの顔ぶれは報道系の番組と言ってさしつかえないだろう。ひとつひとつの企画が短時間で区切られるという番組構成からしても、浅く広くという話題で視聴者にばらまく、そんな意図なんだろうと思う。インパクトが強くないから視聴していても癖がなくて見やすい番組である。ところが意図しようとする背景は重いものも多く、実はその投げかけられた課題を視聴者がどう捉えるか、という部分で、しっかりした捉えかたをしていないと間違えて聞こえてしまうことも多い。そういう意味では見やすいものの、投げかけられている課題が大きいということなのかもしれない。

 さて、ニッポンの評価についての街角でのインタビューを聞くと、国の評価として何流なのかみたいな回答が流れる。聞く側が意図的に何流?などと聞いたのかそのへんを見逃してしまったが、いずれにしてもそこで回答する人たちは三流とかそれ以下という評価をする。かつて経済大国といわれた日本の現状が、どれほど景気がよいといっても低下し続けているという印象を多くの人が持っている。それはみな、かつての〝良い時代〟と比較するからそう思うわけで、もう30年もすると、悪い時代を若い時代に送った人たちが多くなり、必ずしも退廃感のようなものが漂っている日本にっなっているとは言えないだろう。それはこの時代に、何をもって評価するかという視点を持つことが必要だろう。回答をした人たちが、何をもって二流とか三流というのかそのあたりから国民の意識の問題が浮上する。数値的な世界位置が見えたとしても、確かな暮らしが確立されていさえすれば、そんな数値に惑わされることはない。価値観の変化を求めてきたにもかかわらず、定量的評価する際の内容を経済にもってゆけば、価値観など変化するはずもない。いつまでいっても経済至上主義は変わらない。どう考えても現状の中国に勝てるはずもないし、よそに「負ける」という意識を経済上で持てば、人々は退廃感を持つのは当然なのだ。だからこそ、評価の視点を変えなくてはならないだろうし、何をもって自らの生活はよそより低いとみるかということになる。オイルマネーの中東の富豪や、中国の発展途上で生まれた富裕層、そんな人たちと比較して「わたしたちは三流だ」などと言うはずもないだろうが、つまるところ回答をした人たちは、自らの現状を国の責任にしたりして自らの生活の視点を変えようとしていないということになる。この意識こそ、三流意識の源なのだろう。どれほど収入がなくとも、不足しているものは身のまわりにない。金がなくてはそれらを手に入れることはできないだろうが、それほど悲観的になるほど国のシステムは悪くはないはずだ。世界には192カ国あるというが、では、国民総所得(GNI)192番目の国は生きる価値がないのかといえばそうではないはずである。
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