Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

死に支度を考える⑦

2008-01-11 12:34:04 | 民俗学
⑦わたしの霊魂観

 2001年11/17国立歴史民俗博物館第36回歴博フォーラム「民俗の変容 葬儀と墓の行方」の内容を中心にして、これまで死に支度について触れてきた。フォーラムで行われた討議の最後に「わたしの霊魂観」と題して、発表をされた方々が自らの生活に照らし合わせて、感想を述べている。多様な面をそれそれの視点で発表された専門の方々が、いざ自らの生活へトレースしてみると、意外と思われるような現実的な発言が相次いで、研究者自らが伝承とは乖離した自らの視点で葬儀や墓を考えているということがわかる。いや、自ら研究してきた過程で、自らの葬儀や墓のことを考えるようになったと捉えた方がよいだろうか。これを「共感する」ことで見出された答えと捉えるかどうかはともかくとして、考えるほどに従来の葬儀や墓の存在が変化しているといえるだろうか。

 ようするに、以前にも触れたように、葬儀や墓のことはいざ「死」という現実が身のまわりにやってこないとなかなか考えないということである。とくに親族の死ともなると、その一関係者という立場で葬儀を変えるわけにはいかない。あくまでも故人がどう考えていたかというところが尊重されるもので、それを確実にするために遺言というものがある。たとえ遺言がなく、故人の考えがとくになかったとしても、一関係者が「では葬儀は身内だけで、遺骨は散骨にしましょう」などと言うわけにはいかない。結局、自らの死後の用意をするくらいしか、自らの考えを示すところはないということである。そういう意味では、現代の人々は、生前から死後のことをいろいろ考えているのだろう、だからこそ葬儀も、墓も変化してきているということになる。

 その要因として、教育の変化や学歴社会化というものもあるだろう。討議の中で福澤昭司氏はこんなことを口にした。「お父さんは自分のやっている学問と自分の生き方とに矛盾を感じないのかといわれました。(娘に)おばあちゃんの家とか、おじいちゃんの家とか、どういうふうに考えているの、真顔で言われまして、何と答えたらいいかわからなくなってしまって困りました。」というものである。福澤氏は自らの、また妻の両親とも年寄りだけで暮らしているという。実はそうした背景を指摘する子どもたちけっこういるに違いない。もう10年以上前のことであるが、旧高遠町役場に千葉県から引っ越してきた青年がいた。彼は高遠の山奥に独り暮らしをしている祖母の家に住むためにやってきたのである。彼は千葉県の実家で両親にこう言ったという。「なんでおばあさんと一緒に暮らさないのか」と。父ができないと言うと、それなら「自分が一緒に暮らす」と独り祖母のところにやってきたのである。その祖母ももう亡くなられたと聞いたが、今も高遠に住む。このように親の家族観に対して批判する子どもたちも少なくないだろう。そしてそれを実行に移せるだけの若さもある。

 家族の分離生活は、地方におけるほどそれを認める傾向が強くなった。学歴が高いほどに子ども達が同居しない傾向は強い。こうしたフォーラムに参加する専門家は、みなそうした道を歩んできたともいえる。出世するほどに親からは離れた世界へとゆく。それは家から離れるわけで、墓からも離れてゆくことになる。こうした人々が、自ら葬儀や墓の変化の舞台を演出してきた一人ということになる。そんななか、関沢まゆみ氏が「わたしは学問と自分のことは分離していて、この問題には想像力を働かせないというか、自分がどうするかというのは今のところ何も決めていません」と答えた。参加者の中では最も若いということもあるのだろうが、さすがに死後の世界をどう考えるかなどというものは、歳を重ねるほどに膨らむわけで、若い人々が盛んに口にすることではないということにもなるのだろう。だからこそ、徐々に変化を見せていくのだろうが、このような人々のこころの持ちようは、こと葬儀と墓だけに限るものではなく、地方の暮らしのたくさんの部分に影響を与えてきていることも事実で、暮らしぶり、考え方の変化は徐々にではあるが、気がつくと大きく変化してきているのである。

 最後にこんなことに触れて、死に支度を終えたい。同討議のなかで武田正氏がこう述べている。「私にも二人の男の子がおりまして、二人の私の死に関する考え方はかなり違います。私と家内と二人ではどっちかが早く亡くなっても後の者が死ぬまでは骨はそのままどこかに置いて、合わせて、両方死んだ時に子どもから散骨してもらったらいいじゃないかという話しをしておったんですが、(中略)上の子どもの方は、やっぱり何か伝統的なかたちでしてあげたい。下の方の子どもは、両親がそういうのであれば、両親である私と家内が言っているとおりでいいんじゃないかと、長男の考え方と次男の考え方の間を行ったり来たりしているのが実情でございます」というものである。長男と次男という対比でゆくと、けっこうこんな会話が多いのではないだろうか。わたしも同じように次男、そして兄は家を継いで守っているから、武田氏の長男と同様である。それを「次男は気楽だから」と片付けられてしまうことはよくあったが、けっきょく親の面倒を見るということがいかに家とか墓といった対象に保守的にならざるを得ないかということなのだろうか。もちろん親の死や近親者の死に対峙するとともに、また考えは揺れ動いてゆくものだろう。果たして墓に近くなる10年後に、わたしはどう考えているだろう。


①寺の危機
②子に託せない時代
③問う、墓の必要性
④いつまでも残る遺骨
⑤両墓制
⑥千の風になって
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