Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

標準理論

2008-01-29 12:18:24 | ひとから学ぶ
 信濃毎日新聞の月曜日朝刊には、「科学」欄が毎週組まれる。「虫の目鳥の目」はそんな科学欄のコラムのようなものである。1/28の同欄に野辺山太陽電波観測所長の柴崎清登氏が「研究の自由に立ちはだかる壁」と題して寄稿している。先駆者による標準理論に対して支持する研究はしやすくなるし、研究費も集まりやすいという。そのいっぽうでそうした標準理論に反する研究には、研究費はもちろんのこと研究者も集まらない。当たり前のことではあるものの、この当たり前の世界には、実は危険な部分を大いに含んでいるということだろう。ようは標準理論にすべてが傾向してしまうと、視点を変えた発言が起き難くなる。しいては標準理論が正論となってしまって、過ちに気がつかなくなってしまうこともありうるわけだ。もちろん反する意見が起きようとしても潰されるということも十分にある。例えれば、そうした標準意見を突き進めて日本は戦争をしてしまったのかもしれない。民主党の菅直人が「造反なら議員辞職必要」とガソリン税の継続を訴えて反旗をあげた大江康弘参院議員を批判したのも、同じ意見ばかりではないことがなぜいけないのか、という疑問を湧かせる。この菅直人の意見に対して、肯定的な意見が国民に多いということは、ようは党は一枚岩でなくてはならないという、標準理論の肯定世論が一般的であることを示す。しかしである。やはりどんなに政権が取れると確信したからと言っても、意見は意見として受ける大きさは必要ではないかといえるし、それを越えて一枚岩にしたいというのなら、それなりの議論をするべきだろう。何かをやったから「それはダメだ」と決め付けるのは好ましい解決ではないし、本質を見失う可能性もある。あくまでも事例として利用したが、柴崎氏の文を読んでいて気がついたことがある。柴崎氏の文を読んでわたしのような気持ちになった人がどれほどいるかはわからないが、あらためて研究者は世論に流されることなく、本当の答えを追求していかなくてはならないということが見えてくる。

 柴崎氏はかつては地球温暖化の原因が人類の経済活動だとする理論は受け入れられず、いわゆる標準理論ではなかったと述べた上で、今や経済活動を原因とする表現が次第に断定に近づいてきているという。そして断定されていないことについて、それは気候変動のような複雑系の振る舞いであって、単純な因果関係で結びつけるのは大変難しいことだともいう。ところが社会では断定に限りなく近い受け止めをしている。さらに柴崎氏は、北極海の氷の面積が、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の予測より非常に早いペースで進んでいることがわかってきて、予測のために使用されているモデルが不十分であることを示すといい、こうした場合科学者の習いとして、従来とは別の角度から地球温暖化の原因を探そうという研究者が出てくる。しかし、標準理論は経済活動であると断定的になっていて、そうした視点を変えた研究者には逆風だというのだ。

 なるほどと思うのは、今や自然界に何かが起きると、すべてが経済活動によるものだと捉えてしまっているが、本当にそれだけなのだろうかと考えてみることは大事で、それは研究者だけではなく、まったく素人のわたしたちのような国民も世論に流されてはいけないということである。考えてみればあまりに早まっている北極の変化、さまざまな自然災害、単純に経済活動だけと言ってしまってよいのだろうかと思うほどの変化である。まさか「神のいたずら」などという非科学的なことは言わないが、その原因として標準理論に騙されてしまってはいけないということを柴崎氏は教えてくれている。
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