Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

二十日正月まで正月飾り

2008-01-19 16:15:25 | 民俗学


 旧長谷村の非持山を小正月明けにの15日に訪れた。道祖神の祀られている三叉路に正月飾りが少しまとめられている。このあたりでは正月の飾りを焼く行事をサイノカミというところが多いが、このあたりはどんど焼きだろうか。すでに小正月は過ぎたのだが、まだ焼かれずにいる飾りがある。そして家々の玄関先を見ると、まだ松が飾られている家が多い。ここらでは飾りをすべて下ろすのはいつなのだろう、などと思いながら通り過ごした。わたしの子どものころは、小正月の14日夕方にホンヤリ(飾りを焼く行事のことをいう)をし、二十日正月にもホンヤリをしたものだが、今はもうこの二十日正月にはしない。この行事の主体が子どもたちに移ったころから二十日正月のホンヤリはなくなったように記憶する。

 ところで非持山の家々をのぞくと、いわゆるホームセンターなどで売られているような正月飾りが飾られていたりする。意外だったのはそういう簡単な飾りをしている家が多いことと、それが小正月以降まで飾られていることだ。以前にも飯田のマチの正月飾りについて触れたが、正月早々にはずしてしまうところにくらべれば、ずいぶんと長持ちというか、有効に飾られていて、歳神様もずいぶんと長居をしたものである。せっかちなこの世の中で、十分と正月を楽しまれたことだろう。このごろの休日や祝日の感覚というか境目がなくなりつつある。こうして長居をしたからといって、歳神様も休日を楽しんだとは限らないが、果たしていかがなものだろう。今や長野県のどこを訪れても、年が改まったなどという雰囲気を持つ集落はなくなった。小正月を中心に行事を盛大に継続している例えば阿南町新野など限られた地域だけかもしれない。子どもたちにとっての正月観というものもどうなんだろう、などと思うが自らがその時代を再び経験することはないからまったく不明である。

 さて、二十日正月を前に再び非持山を通ったので、道祖神の祀られている場所に行ってみた。以前よりも少し飾りが増え、そのまま置かれている。少し周辺をうかがってみると、やはり玄関に飾りが見える。道端で立ち話をしていたおばさんたちに聞いてみると、ここでは小正月には焼かないという。二十日正月まで飾っておいて、その日に降ろして焼くようだ。かつては道祖神の祀られている場所で焼かれたのだろうが、近くにある公民館に隣接した土地で今は焼く。当初は小正月にも焼いて、二十日正月にも焼くのだと思っていたがそうではなかった。
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