Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

やたらに詳しい〝少年〟

2007-08-18 11:07:24 | ひとから学ぶ
 マニャックな子どもを久しぶりに見た。伊那田島の駅に着くと、すぐ脇を通っている広い道のことを指して〝農免〟という。この言葉そのものが既に風化してきている。それはここ10年ほどはこの名の道が新たに造られるということもないからだ。大人でもこの言葉を知らない人が多い。その言葉を小学生の口から聞くのだから意外なのだ。そしてその道が農免であると認識している人は、沿線の人や関係者くらいしか知らない。まして通行量の多い道なら理解できるが、この道路を通行する人は限られる。いわゆる「こんな道必要だったの」みたいな道だ。

 しばらく北へ進むと、今度はあの道が〝広域農道〟と母と話している。実はマニャックナ少年なのだが、ちょっとそこは違う。正確には〝主要地方道飯島飯田線〟である。伊那南部から北部までをつなぐ今や動脈となった広域農道につながっているから、意識しないと広域農道と間違える人もいるが、正確にはこの広域農道は飯島町七久保の柏木交差点でエンドであり、それより南は国道153号線の与田切橋南からやってくる前述の道となる。

 まあ、そのくらいはちょっとした意識というか認識の違い程度のことである。それすら解らない人も大勢いる。そして田切駅を迎えると〝急カーブ〟のあることを知っている。そしてその手前に作られた駅。「こんなところに無理やり造った駅」という少年の言葉は事実だ。かつて急カーブにあった駅を、安全のために移動した。普通ならこんなところに駅は造らない。的を得ている観察力だ。そしてその駅を過ぎると、中田切の谷に線路は降りていく。アールを描いて迂回する飯田線は、こんなアールのある場所がマニアの撮影ポイントだ。中田切川南側の水田地帯にアールを描く飯田線は、背景の中央アルプスをモチーフに、電車が描かれることが多い。そんなスポットもちゃっんと認識していて、「ここって撮影ポイント」と説明する。

 とまあ、それ以後ずっと飯田線を説明してくれる。昔はそんなマニャックな子どもたちがけっこう身のまわりにたくさんいたように記憶する。そういうわたしは何が得意だっただろう。友達と車の姿を見て、咄嗟にその車名が解れば自慢だった。当時は今ほど車の種類がたくさんあったかどうか、だから車名だけではない、そのグレードとか排気量なんかを確実に言うのが正解だった。少し経過して中学くらいになってもそんなマニャックな世界はけっこうあったものだ。今や○○病院の○○医長になっている当事の友人は、異様に伊那谷の山城に詳しかった。それほどマニャックなやつだから勉強もできてしっかりとした目標にそのままだとりついた。子どもたちにとっては何でもよいのだ、そんな得意なものがあれば・・・。
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