Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

イナサ

2007-08-31 08:29:54 | 民俗学
 「日本民俗学」250号に中山正典氏が「伊豆半島漁村における風の伝承」という論文を掲載している。〝風〟という視点で地域社会を眺めてみるという考えは、風に左右される生業で成り立っている集落にとっては、大きな意味があることになるだろう。風の向き、強さで生業が左右されるとなれば、毎日の気象条件を的確に捉えることになる。したがって日々の暮らしの中で、自然、いわゆる環境というものへ注視することになるだろう。そうした生業とは何かと考えてみれば、漁に出るにも天候に左右される漁村のような空間は、その代表的なムラということになる。具体的に伊豆の漁村の風を捉えながら、①地形による風位の差異、②集落における敏感な風位、③伊豆半島の特徴的風位、④地域集落における自然環境に関する認識を風に垣間見る、という4点をあげてまとめている。伝承されている風位を介在させることで、人間と自然環境との関係を集落ごとの特徴として語ることができると述べている。

 ちょうどそんな中山氏の論文を読んだころ、NHKの深夜放送で仙台平野の「イナサ」のことについて触れた短時間番組を放送していた。暖かい南東の風のことをイナサといい、このイナサが吹くと大漁になるという。伊豆半島においても、南東の風をイナサというところが多いようで、中山氏のまとめた風位一覧からもそのことが解る。ただし、こちらでは、台風時の暴風のことをそういうようで、仙台平野のイナサとは漁師に与えるイメージが異なる。仙台平野では大漁になるからこれを「情け」のイナサと呼んでいるという。太平洋に沿った松林があり、その間を縫って貞山堀と言われる運河がある。そしてこの運河の中ほどに荒浜という集落があり、ここではイナサ(風)で漁の取れ高を占うという。この場合は風によって現実的な生業を占っているわけで、海を生業の場としている人たちにとっては、風は大きな意味を持つことを証明している。

 風について中山氏は、『浜岡町史民俗編』(静岡県)のことに触れている。浜岡町では冬季の西北西の季節風が強いという。この冬の強風を利用して砂防堤を築造することを江戸時代から行ってきた。集落をあげてシバを刈り取り、砂丘にシバを立て、西北西の強風がそこに砂を付け、砂堤列が伸びる実生の松を植え、30年40年かけて砂堤列を築造していく。そして、その砂堤列間に耕地を開墾していく。この例は風の力を明確に利用することで堤防ばかりではなく耕作地を増やしていった例だ。現代なら大型機械を利用して造成していく事業を、自然の力を利用して何代もかけて造っていった。

 また、同じ「日本民俗学」250号に、三田牧氏は「糸満猟師たちの「天気を読む」知識」という論文を寄せている。沖縄では嵐を「カジマーイ(風廻り)」と呼ぶ。旧暦の2月の大嵐「二月風廻り」をどう予測しているかということを聞き取っている。とくに印象深かったのは、二月風廻りが過ぎ去ったことの指標として「カニが浜を歩く」とか「カニが海に向けて穴を掘る」というものがある。やはり、自然の変移は自然観察の中から生まれるということが興味深い。いかにかつての暮らしが自然観察の中に成立していたかということだ。しかし、こうした伝承も護岸工事が進んだ今日では、カニが穴を掘ることさえできなくなって現実味のないものとなっているという。

 さて、海端と違って山間の農業主体の地域では、なかなか風との関わりは比較にならないほど希薄だ。しかし、例えば稲ハザに稲を掛けたとしても日当たりも大事だが、風がないと乾きは悪い。乾きが悪ければ、場合によってはカビが出てしまうこともある。「干す」という作業が今以上に多かった時代には、それほど意識は強くなくとも、風の影響を被っていたことは確かだ。そういえば、かつての大掃除といえば、畳を庭に出して干したものだ。そんなことをしている光景を、もう何十年も見たことはない。いや、それどころか稲ハザそのものも珍しくなっているのだから、いかに風を利用しなくなっているかということだ。だから家も風を通すという考えではなく、技術的にカビから守るというものに変化してしまっている。人々の知恵は、そんなところからも消え去っていることが解る。
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