Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

トイレに隠された二つの空間

2007-08-05 10:39:00 | ひとから学ぶ
 ひさしぶりにまたちょっといやーな話を書く。

 トイレに入って小の方をしていると、すたすたと入ってきて大の方へ入る人がいる。別になんでもないことだが、女性とは異なり、大へ入って小をする人は座便器ならともかく昔ながらの便器なら普通はあり得ない。だから、そんな昔風のトイレ空間にいれば、自ずとすたすたと入ってきた人は「大」をすることはわかる。当たり前のことなのだが、この雰囲気はなんとも言えない。ようは「早くこの空間を出なければ・・・」と思う。なぜって、人の大の瞬間をともにしたくないし、人の匂いをかぎたくはない。それは誰も同じだろう。でもそんなくだらないことで気にするな、といわれそうだが、人に「そんなときどう思う」なんて聞いたことはない。でも意外にわたしと同じように思う人は多いに違いない。前述したように、女性なら箱の中に入ってしまえば、大とも小ともわからない。たまたま匂いでもしてくればどちらかわかるだろうが、その際、箱の中に入っていれば顔はわからない。時が過ぎれば箱の中身は変わっていくから、誰が大をしたかなんていう意識を持つ必要などあるはずもない。箱のドアが開いて人が出てくるときには、すでに匂いだってしないだろうし、箱から出てきたと言っても「大」と限定されるものでもない。箱が混雑していて待っているのならともかく、そうでなければ気にすることはない。

 これは同じトイレという空間でありながら、かたや箱の外、かたや箱の中という明らかに別空間が同じ空間にセットされていることが要因となっている。小をする空間にいる者も前述のように立ち去ろうと思うが、大の空間へ足を踏み入れようとする者もけしてすんなりとは入りにくいものだ。そんなくだらないことを気にしない人ももちろんたくさんいるが、小空間にいる人と、大空間を目指す人が会話をすることもないし、そのケースで挨拶をするとしたら、よほど親しいというものだ。だいたい顔見知りだとしても、足早になるべく顔を合わせないように大空間へ向かう人が多い。ようは本来なら誰もいない空間で大の箱へ入りたい、そう思う人もいるはずだ。

 きっとこんな無口な空間現象は、男性だけが感じているのだろう。世の中のトイレがすべて座便器スタイルになって、多くの男性が小を座便器でするようになれば、そんな意識もなくなるのかもしれない。ようはこれもまた絶滅危惧種ということになる。
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